2015年8月23日日曜日

ある日(一番札、野球)

Fと朝から桃島地区に行く。田の水を流しに来た翁と話し込む。道路幅拡張の話、水害対策の話など。また会えるだろうか。田に張り巡らされた電気柵の近くまで、初めて行く。子供がこのあたりを歩いたら危険ではないだろうか。不安に思ってしまうのは、私がいかに農業を知らないかという証にも思える。(調べたら、よほど心臓が弱くないかぎり、びりっとして驚くくらいで、死にはしないとのこと)

ランチは寿司屋。高校野球の準決勝。第一試合は7対0の大差で終わった。私とFが寿司を食べていると第二試合が始まって、1回裏であっという間に点がたくさん入った。ご主人も、観光客も、私たちもみんなテレビを観ていた。高校野球が人の感動を誘うのは、若さのためだけではないと思う。一度負けたら終わり。その一回の勝負が人を引きつけ、酔わせる。若い選手であるというだけで眩しいのに、彼らのこの戦いが一度きりだなんて! でも、私が感動を分析するのは、そういう感動の消費から逃れるためでもある。

思いたって、前から並びたいと思っていた、外湯の「一番札」に並んだ。7つの外湯のうち、7時に開くものが4つ、13時が1つ、15時が2つある。そのうち15時に開く柳湯の、一番乗りの客をめざしたのである。お盆のあいだは、2時間も前から並んでいる人がいたりして、手が出なかった。今日なら如何、ということで14時10分にひとりで駅前のカフェを出て、向かってみた。Fはまだカフェに残って執筆していた。一番札という目標ができると、柳湯方面に向かって歩く人間のすべてが柳湯をめざしているように見える。小走りにたどりつくと、まだ誰もいなかった。入口の引き戸の前に陣取る。時折、足湯に浸かりにくる親子連れやカップルがいるけれども、彼らは家族や恋人を置いてまで一番札に並ぶことはないので警戒に値しない。問題は、ひとりでふらふら現れる、見巧者ならぬ湯巧者である。できれば、Fが来るまで待って、ふたりで男湯と女湯の札を制覇したい。私のひそかな野望もむなしく、頭に手ぬぐいをまき、アロハシャツを着たパンクな男が自転車で現れた。こなれた手ぬぐいのまき方。観光客の衣装とも言うべき浴衣ではなく、通気性のよいアロハシャツ。そして単独行動に便利な自転車。完全なる、温泉街の猛者の姿だった。Fも柳湯をめざしてカフェを出たと連絡をよこしてきたが、すでに猛者が男湯に並ぼうとしていた。しかし……! 男は看板の営業時間を確かめると「なんだ、15時からか。あと10分もあるじゃねえか」と捨て台詞を吐き、「じゃあ一の湯行くか」と自転車で走り去ったのである。湯へのこだわりがなく、一刻も早く浸かれることを重視するタイプの猛者であったため助かった。ほどなくしてFが柳湯に到着し、無事に男湯一番乗りの座を手中におさめた。Fが並んで数十秒後には次の客が来たので、危ないところだった。手にした一番札は、木で出来た絵馬のような形をしていて、こんなにも嬉しいものかと思った。

Fは、おなかがすいて観劇に集中できないという状態を恐れるたちである。朝、ミートソースを煮込んでおいたので、夕方アートセンターに戻ってからスパゲティを茹でて食べた。ほどなくして「God Bless Baseball」のショーイング。東京、神戸、城崎から集まった観客たちが、浮遊する言語とポーズ、アイデンティティに翻弄されていた。本番を観た8歳の少年が終演後に「おもしろかった。満足しました!」と出演者のN嬢に直接伝えてきたという話を、あとで鴻の湯の脱衣所でN嬢から聞いた。そんなふうに彼女と外湯で会えるのも、今夜限りだった。

人の大勢いた打ち上げは深夜まで続き、さらに客人が皆帰って夜が更けたあとは、観光人俳優Y氏から寄せられた「日本語における『きれい』『美しい』の違い」というテーマを大いに議論したりして過ごした。

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