2014年3月13日木曜日

縫子修行

朝の静寂の中、カレーづくりをおこなった。タマネギを念入りに炒め、具は牛肉を用い、トマトを湯むきしてつぶし、にんじんは丁寧にすりおろして溶かした。なんと、スパイスと蜂蜜でコクと深みを出す時間の余裕まであった。つくることに一生懸命で、特にたべようとは思っていなかったので、まだ味は見ていない。

昨日は、行こうと思ったお店が定休日だったことと、買おうと思ったファンデーションが売り切れていたので、出かけた意味があまりなかった。かわりに、存在だけは知っていた近所のヴィンテージショップを覗き、黒のベロアワンピースを見た瞬間に気に入って、試着もせずに購入した。着られなくても手元にあるだけでいい、と思うくらい美しいワンピースだったし、隣にあったブラウスよりもだいぶ安かったからだ。家に帰って着てみると、肩幅が少し合わないように思われたので肩部分を縫い直した。また着てみると、今度は袖の長さのバランスが悪かったので丈を詰めた。古着を買ったのは人生で二度目だったが、サイズを自分で直したのは初めてだ。ワンピースは黒く光っていて、これを着た私はもう、ただの魔女である。

2014年3月12日水曜日

箱庭療法

早朝に覚醒してしまい、力を持て余すので、ついにお弁当づくりに手を出した。自分でつくり、お昼が来るのを待ち、たべる。お弁当のおかずを「つくる」というよりは箱に「つめる」という作業にやりがいを感じている。続けてみてわかったことは、プチトマトは日本のお弁当文化にあわせて品種改良されてきたに違いないということだった。あざやかな赤をあれくらいの小ささで代替する他の方法は、今の私では半分に切ったピンクのかまぼこしか思いつかない。これからは、ゆかりごはん、焼き鮭、白ごま、パプリカなどの使用にもぜひ精通してきれいな色のお弁当をつくりたい。

だらしない身体の男は嫌い、と告げた。男に限った話ではなく、身体のだらしなさは二の腕のかたちに表れる。ここの空気の流れが重要で、いい男もいい女もともに肩口をすっと抜ける風を感じさせるものだ(しかし、抜けるわりには湿り気を帯びているのが不思議である)。身体と心は連動していることが多い。生活は心に引きずられがちなので難しい。なので、鋭さを潜ませた身体と高潔な心で、だらしない生活をしているのが一番好ましい。

2014年3月10日月曜日

キッチンの女王

オムレツの練習をするために冷蔵庫から出した卵を、扉を閉めた拍子に床にほうってしまった。ぺちゃ、という間抜けな音がした。手の中にはひとつ卵が残っていたので、だめにしてしまったほうの卵を片付けてから丁寧に割って泡立て、バターで焼いた。やはり卵がひとつでは厚みが不十分だったが、焼き色は今までで最高だった。

一日中手先はおぼつかず、包丁で左手の薬指の端を切った。にんじんの色と見間違えるより先に、まないたに付いたのが血だと気づいて、しまったと思った。絆創膏が戸棚にない気がしたので、一昨日使っていたカバンの内ポケットから、しなびたのを見つけ出して貼った。私は使ったものを定位置に戻さないかわり、どこに何があったかは一瞥して忘れないのである。

続けてトマトを湯剥きし、つぶして種を掻き出した。本当なら包丁で切ってスプーンを使うのがうつくしいが、特に構わなかった。手はトマトでぐちゃぐちゃになり、例によって味見がめんどうなので味付けに難儀したが、トマトソースの出来はなかなかだった。いつだって、うまいものは自分の手を汚して手に入れるのだ。

2014年3月9日日曜日

まないたの上

つめを切ろうと思って、次の瞬間には切り始めた。つめきりの場所は私のいる場所から見えていたからである。正確に言うと、つめきりが見えたので、つめを切ろうと思ったのだった。ぱちんぱちんという音が小気味よかったので、調子に乗ってすこし深爪した。

私はだいたい毎日料理をするので、自分の身体を自分でつくっている認識がある。人は自分のたべた物で細胞をつくるので、そう思うと、誰かに食事をつくってもらうのは思っている以上に身体の深いところに作用する。料理をしない人はお店でたべる。外食はお金を払うので、食事に対する自律性が保たれる。あなたにはお金と引換えにたべものを調理してもらっているけれど、私の身体は私のものです、という意志が介在する。対価を払わず誰かの食事に身体を許すのは、(細胞が生まれ変わるスピードの)ゆるやかな支配への承諾と見なす。そう思うと、相手が私の持っているスプーンにくちを開けたりするのも、甘美なことだ。

2014年3月8日土曜日

パーティは終わりだ

待合室には老婆が二人いた。彼女たちはご近所の仲間同士らしく、ぺちゃくちゃとおしゃべりしていた。今上天皇が生まれたときに日本中で歌われた奉祝歌と提灯行列の思い出を語っていたので、聞き耳を立てた。その奉祝歌は北原白秋が作詞をしたもので、私は、亡くなった祖母が最期の病床で(なぜか)歌ってみせてくれたので、知っていた。本当に、あの世代の人々にはなじんだ歌だったのだ、という事実があらためて立ち上がってきてひそかに感動した。老婆たちはそのあとも、共通の知り合いのうわさ話や家庭事情などをあれこれ話し合っていた。しかし「彼はどうしたかねえ」と一人が言うと「あら、あの人は死んじゃったよぉ」などともう片方がのんびり返答するのには面くらった。
「え、いつ」「三年くらい前かねえ」「じゃ、あの人は?」「今は施設に入ってるってよ」「やだねえ、どんどん友達が減っていくのが悲しいよ」「あの人は息子が早くに死んじゃってずっと独りだったからねえ」「何で息子死んだの?」「がんか何かじゃないかねえ」
そこまで聞いて、私は先に待合室を出て靴を履いてしまったので、あとはどうなったか分からない。

あのとき誰かに埋めてほしかったものを、今、別の誰かがどれだけ捧げてくれようとも、だめなものはだめで空白は永遠に埋まらないのだと思う。穴のあいたバケツに水をそそぐような行為だと、わかっていても。

今言うべきではなかったことの断片を口走ってしまったのだが、助産師はその出産を促した。言葉の未熟児を産んでしまったので、腹にいるべつの子はちゃんと大きくなってから産むか、このまま子宮の中で細胞に戻って血になってほしい。

2014年3月6日木曜日

暮らしのドミノ

ねむるか、ピザを頼むかしか思いつかなかったので、昨日郵便受けに入っていたチラシの電話番号にかけてピザの宅配を頼んでみた。電話でピザを頼んだのは5年ぶりほどになる。最近はひとりでラーメンもたべたし、銭湯にも行ったし、行動力がついてなかなか広がりのある暮らしをしているのではないかと思う。私は寿司屋や居酒屋で注文するのがなかなかできなくて、いつも隣の人に耳打ちして「かんぱちを下さい」などと言ってもらっているので、たべたいものを人に伝えるだけで、一大決心が必要なのだ。ピザは、それから45分ほどしてからやってきた。1000円引きのクーポンを渡してお兄さんに代金を支払った。ピザ代というよりは、圧倒的に、原付の燃料代なのだろうな、と思った。

私は根拠のない即決をすることがたまにあって、それは前述の居酒屋でのしめの注文で「焼うどんと焼きそばどっちにしよう?」と聞かれたときに、どちらも同じくらい好きでどちらでもいいのだけど「焼うどん」と即答する、くらいの判断なのだけれど、そのことが日常に小さな決壊をもたらすことを狙っているので、そうするのである。論理立てるのでなく、好みによるのでもなく、ただ「決める」瞬間に何かが綻ぶ気がするのがうれしいのだ。服も家電も即決に次ぐ即決だし、本当は借りる部屋さえそれでもいいと思っている。

女がひとりでピザを頼んで食べる演劇とかありそうだな、と、トマトピザを咀嚼しながら考えた。食事時でもないのに、いったい私は何をたべているのだろう、と思った。でも、何らかの孤独や悲しみの描写に宅配ピザを使うなんていうのは古今東西しぬほどいろんな人が考えてきただろうし、あるいは陳腐すぎて考えもしないくらいの話で、そういう陳腐さにささやかな抵抗をするために私は思いつきでピザを頼んだり、この日記を書いたりしている。冗談ではない。私のくだらない、5年に一度程度の行動力など、底抜けに食いやぶる演劇が観たい。そういう、リアリティよりも説得力のある言葉と身体があるということを、私は知ってしまっているのだから。 

ひざに抱く

犬の頭を不意に撫でると、ときどきびっくりしたように目を閉じ、そのあと安心してまた息を始める。人の手が毛を、肌をすべるのがここちよいのだろう。目を閉じているので私の表情はわからないはずだが、私も安らかな気持ちと、あまりにも安らかなので不安になる気持ちの狭間で、少しだけ笑っている。このまま眠ってもいいのに、と思うのだが、どうも途中で起き上がってどこかへ行ってしまうのが寂しい。まれに寝息をたてることもあって、そういうときはいっそう優しい気持ちをこめて撫で続ける。強く抱きしめてしまって、起こさないようにするのがとても難しい。

2014年3月5日水曜日

裏街道五十三次

一泊する勇気はまだ出なかった。三年かそこら前に、修学旅行と銘打ったひとり旅があり、そのときの経験を塗り替えるだけの自信がまだ持てなかった。あれ以上のものを得るためでなければ、京都で夜は明かせない。あのときと私はもうずいぶん違っていて、好きだった人のことも今はそんなに好きじゃなくなってしまって、というか会わなくなってしまってどこに住んでるのかも何となくしか知らない。知らない町で日が暮れていくのが不安、と昨日は思ったけれど、京都のことは別に知らないわけじゃなくて、でも行きずりの、それでいて永遠の憧れのような気持ちの結晶が喉元を刺すのだ。行ったことのないところに行きたくて、京都タワーの下の浴場に行った。どんな場所でも、服を脱ぐ前と後では町との距離が少し変わる。道中は、往復ともに死んだように眠った。どうかしてる、と思うような眠気だった。死んでいる間に、西へ東への移動が完了した。

私のこのごろの夢は自家製ケチャップを作ることである。私は実をつけないお花がとても好きなのだが、なぜか今はトマトを育てたい、と強く思っている。

2014年3月3日月曜日

午前5時の停滞

明け方、携帯電話を触っていたら壁とベッドの隙間に落としてしまった。床に携帯電話が叩きつけられた音がして、面倒なことになった、と思った。手を差し入れてみたが、到底届かなかったうえに、どこに落ちているかもわからない状態だった。つりそうになるまで、ちからの限り手を伸ばしてみたがそれでも掴めなかった。仕方ないのでごそごそ起き上がりマットレスを動かしたところ、落ちている場所は確認できたが、絶対に自分のちからでは拾えない場所だということがわかっただけだった。すぐ拾えるところには、いつから落ちていたのかもわからないホッカイロの死骸があって、そのだらしない光景に絶望した。ホッカイロの死骸はこの冬に触ったもののうちで、もっとも虚しい冷たさだった。それから二秒考えて、柄の長いクイックルワイパー(床用)を洗面所から持ってきた。いつもは冷蔵庫の横にあるのだが、昨日冷蔵庫の横から洗面所まですいすい掃除してそのまま洗面台の横に放置したのだ。寝室の床に這いつくばり、クイックルワイパーの柄をベッドの下に差し入れ、携帯電話を引っ掛けてたぐり寄せた。うまくいって「よし」と思ったけれど、所詮クイックルワイパーでベッドの下を探るみにくい姿をさらしていることがその喜びを押しとどめた。何より時刻は午前五時であり、そんな時間にこんなことをするはめになった自分にうんざりしていた。クイックルワイパーはそのままベッドの下に放置した。私の部屋が散らかっているのは、ものを定位置に戻さないせいだ、と人に指摘されたことは今思い出した。

そんな一日の始まりで、朝から夕方まで雨は強くなる一方で、原宿で演劇も観たことだし、恋をしながら長く生きることについてたくさん考えた。この人はきっと女からこういうことを言われてきたに違いない、と思うようなことは、自分はその人のことが好きだと言っているに等しいので悔しい。ずいぶん愛してしまっていることを確認するより、それを忘れるためのセックスがこの世にあるといい。そのときはぜひ、私の想像力より私の身体を愛してほしい。

めがねのふちが黒くてくっきりした男には注意しなければならない。黒いふちは彼が世界から隔てられていることを装う証だが、その枷に負けて、中途半端なフェティシズムに拘泥する人はつまらないし、それを言葉にもできない人はもっといやだ。だいたい、黒いめがねのふちを受け止められるかどうかは、彼の輪郭がすでに物語っているものだし、黒縁に対して分不相応な人のことは、私は居酒屋に置き去りにして21時半くらいに帰る。

2014年3月2日日曜日

国道沿いは雨

ある映像作品を見ながら、気付かないうちに眠っていた。目が覚めたとき、作品はたぶん終わりに近づいていて、予想どおり、それほど時間が経たないうちに終わった。大半を見逃してしまったのだが、心地よく眠れたことがうれしくて、この時間に感謝しながら席を立った。息をしながらまるでコンクリートの壁に溶けてしまったみたいに意識をなくしていて、こんなに気持ちよく目が覚めたことも最近はなかった。早い時間にベッドに入っているのに口内炎がずっと治らないのは、本当には眠っていないからなのかもしれない。

何だって、泣けるうちはどうにか出来るのだ。そのうちわっと泣いてしまうんじゃない、と言われたことを思い出しながら電車に乗っていたけれど、今は泣けない。