2016年5月17日火曜日

耳のかたち

そういえば今朝の夢で「あなたの耳はかたちが、悪耳(あくみみ)ね」、と言われたのを、スーパーマーケットへの道すがら、急に思い出した。悪耳なんていう言葉は聞いたことがなかったけれど、耳がぴんと前だけ向いていて、まわりのひとの話をちゃんと聞くことができない、わるい耳のことを言うのだと、女は言った。言われて鏡に映してみると、夢の中の私の耳は独りよがりにとがって、確かに他人の言葉を聞き入れるようには見えなかった。耳がかわいいと思うよ、なんて言われたばかりで、少し浮き足立っていたからではないかと思う。

誰もいないと、食事をつくる気も失せる。絹さやを買おうと手を伸ばして、どうせ食べきれないし絹さやはさや取りが好きなだけで、食べるのはそこまで好きではない、とあきらめる。鯵の刺身、あさり、ほたてのむき身、冷凍のえび。二度と買えない(気がする)ものが、この世にどんどん増えていく。

2016年5月2日月曜日

マンボウの卵

お互い予定もないのでそのまま食事をしに行く、ということになって、京浜東北線から山手線に乗り換えた。山手線には、ひとつひとつの扉の上に液晶モニタがあって、乗客を飽きさせないような広告とかを、映し出している。その時はたまたま雑学の番組をやっていた。「マンボウは一度に8000万個の卵を生みますが、成長するのは1〜2匹です」という内容だった。ほとんどすべてのマンボウは、成長する前に他の魚に食われて死ぬことは、子どもの頃から知っていた。図鑑が好きな子どもだったので。だから、8000万個って少ないな、私が読んだ図鑑には2億個って書いてあった気がするな、などと考えていた。

マンボウ、卵の数で勝負するのやめたらいいのにね。

彼がこともなげに言ったのを聞いて、まずびっくりした。そんなこと今まで考えもしなかった。それから確かめた。

それって、もっと他の手段で生き残る方法を考えるべきっていう意味?

軽くうなずいたようなのが見えたが、その時、山手線が五反田に到着した。そう。そうなんだけど、言ってることは、わかるんだけど。だからだめなんだな、マンボウも私も、と思って返事はもうしなかった。「こっちの方面で合ってるかな」などと言いながら、二人でレストランを目指した。その日は、待ち合わせした場所でカフェにも行ったし、五反田に移動して食事してからも、再びコーヒーショップに入って、それで別れた。その日は5時間、一緒にいた。

2016年5月1日日曜日

遅れた花嫁

花屋で買った芍薬のつぼみが、なかなかひらかないので、水上げに失敗してしまったかと思って、一度茎を短く切った。それでもつぼみはかたくななので、毎日、咲いてほしいよ、会いたいよ、と声をかけて育てた。蜜が出るとひらきにくいので、拭き取りもしたし、花びらがやわらかくほころびるように、つぼみをさすったりした。そのかいあって、その芍薬を花屋から我が家にめとって一週間が過ぎた日、ついに花はひらいたのだった。

チェーホフを知らないまま大人になるなんて貧しい人生だ、と言う人が仮にいるとして、でもその人は、私が一生懸命世話した花の名も、道ばたで枯れた花がらを散らす街路樹の名も、 コンディショナーと違ってシャンプーのボトルには目を閉じていてもわかるようにぼこぼこした印があることも、知らない。貧しさとか豊かさの話ではないし、どちらかに振れることだけが人生ではない。問題は、断罪の言葉を、口にするかしないか。その言葉を持っているか、いないかなのだ。

もう、夜は怖いものではなく、ただ悲しくて寂しいものでしかない。

2016年4月28日木曜日

かざりの違い

部屋に帰ってくるたびに、電球が切れていたのを思い出す。扉を閉めて、真っ暗になってしまうことに一瞬ためらってから、この季節、虫が入るのもいやなのでやっぱり閉める。外にいる時は、家のことなんか思い出さない。

眠っている間に、同級生にメールを書いてしまったことがあった。おとといは眠っている間に日記を書いてしまって、それはもはや日記ではなくもう夜記というべき、朦朧とした中でのしろものだ。文意文法は明晰である。人が乗りうつって私を操ったような気さえした。早朝に気がついて、怖かったから下書きに戻した。何かがあらわになるような気がした。これだけ日頃から書きちらしておきながら、何かがあらわになるのは怖いのである。手直しして、何事もなかったように今は公開してある。

2016年4月26日火曜日

娘のすみれ

すがるように、記憶がとぎれとぎれの日を過ごしてしまった。目が覚めたら新しい薬を飲みついで、意地を張って一日中眠り続けてしまった。

ねえ、子どもにお花の名前をつけるとしたら、何がいいと思う。「すみれかな」えっ、私もそう思ってた。すみれって、名前つけたいと思ってた。「楓っていうのも、いいんじゃない」楓。「生まれる季節にもよるね」

そういう会話をしたような気がするが、まったく嘘かもしれなくて、さっき、幻が浮かび上がるように思い出したのだった。いや、たしかにそう言ってたよと彼は言う。直後に私はこむら返りを起こして、泣いて痛がる私を、男が一生懸命なぐさめては、右のふくらはぎをさすってくれたのだった。そういう夢を見た。今朝になってみると、コンドームがひとつ減っていて、ほとんど覚えていないけれど、たぶんあけて使ったんだろう。

2016年4月23日土曜日

未熟な後悔

私、あなたに話していないことがあるの。
でも、私あなたに訊きたいことがあるの。

ねえ、あの時あなた、何考えてたの?
あの時本当は、どう思ってたの?

2016年4月21日木曜日

あなたの傷

昔使っていたパソコンの電源を入れてみたら、入ったので、8年とか9年前に書いていた文章やメールの下書きを何とか取り出してきた。合計で8万字ほどになった、と伝えたら「捨てる量としては妥当だね」と言われた。もっともっと、灰にしても溢れるほどの量を生んで捨てて、日の目を見たいと思っている。

わたしはあなたの傷になりたい。
およそ女というものを思うとき、
わたしを思い出すたび、後ろめたさと不甲斐ない自分と取り返しの付かない気まずさが
あなたに降りるようにね。
(2008年12月ごろのブログ下書きより)

当時、誰を思い浮かべて書いたものだか、正直な話まったく思い出せない。何人か思い出してみるものの、こんなふうに脅すほどの目にあわされた覚えはない。しかし私がそのまま年を重ねてしまったので、それは恐ろしいことである。

2016年4月13日水曜日

指のかたち

最近知り合った人の指先を見つめている時に、あの人と手がよく似ていることに気がついた。何となくじんわり思い出した、というのではなく、ぱっと「あの人の手だ」と結びついた時のことはこれからも忘れない。

夢の中で私は、本の続きを書き継いでいて、それは、えっ、これって私が書いたものなんだっけ、と思うくらい狂気に満ち、別人の文体が乗り移ったようだった。文章は短いものが3つくらい続いていた。隣には友だちがいて、彼は落ちつかない様子で何かを待っていた。彼が落ちつかない様子なのはいつものことである。時計は夜中の3時だったけれど、彼は8時には起きなきゃいけないと言って先に寝た。そのあと私が同じベッドで眠ったかは定かでない。ひとりで玄関から外に出て、何者かに追いかけられて怖かったような気もする。目が覚めるとじっとり汗をかいていた。真っ先に、あれと同じものを書きたいと思って思い出そうとしたけれど、同じ文章は当然ながらこの世に存在しないので、そのことにがっかりしたのが浅ましかった。それから3時間くらいかけて、言葉が朝日に霧消していくのを、未練がましく追っていた。

2016年4月10日日曜日

恋愛問題集(中級編)



※過去問は一問一答(前編)論述問題(後編)の二つです。


問1
次のうち、人生で避けるべきものはどれか。
1.罪な男
2.危ない橋
3.ずるい女


問2
「あなたのことが好き」という文章と同じ意味のものを選べ。
1.こっちに来ないで。
2.あっちに行って。
3.あなたなんか大嫌い。


問3
次のうち、自分自身で選択できないものはどれか。
1.恋の始まり
2.恋の終わり
3.恋に落ちる相手
4.結婚相手


問4
次のうち、あなたの人生にもっとも必要なのは誰か。
1.ときどき訪ねてくれる人
2.好きになってくれる人
3.一緒に暮らしてくれる人
4.あなたを理解してくれる人


問5
次のうち、自分自身で選択したと見せかけて、選択していないものはどれか。
1.恋の始まり
2.恋の終わり
3.恋に落ちる相手
4.結婚相手


問6
人生の終わりに際して、望ましいのはどれか。
1.未練はあるけれど後悔はない。
2.未練はないけれど後悔はある。
3.未練も後悔もない。
4.思い出だけがある。


問7
人生の終わりに際して、望ましいのはどちらか。
1.自分の生き方に満足して生きるが、死んだあとで「あの人は可哀想だった」と言われる。
2.自分の生き方に不満足なまま生きるが、死んだあとで「あの人は幸せだった」と言われる。


問8
あなたの心が今必要としているものは次のうちどちらか。
1.自分を好きでいてくれる人の優しい言葉
2.恋した相手のそっけない一言


問9
次のうち、より悲しいのはどちらか。
1.愛した人から選ばれなかったこと
2.愛した人を選べなかったこと


問10
愛の終わりの言葉として、いちばん美しいものは次のうちどれか。
1.「今まで本当にありがとう」
2.「これからも友だちでいよう」
3.「もう二度と会わないようにしよう」


問11
次の文章を英文に訳せ。
1.甘美な記憶を思い出すためには、一度忘れなければならない。
2.年を取れば取るほど、恋の執着はなくなると信じていた。


問12
次の英文を日本語に訳せ。

Love is not enough.

1.十分に愛されていない。
2.愛は十分足りている。
3.愛だけでは十分ではない。

2016年4月1日金曜日

バスタイム・イン・ザ・ダーク

部屋も廊下も浴室も真っ暗にして、湯につかる。窓がある方には背を向ける。電気を消したばかりでは何も見えないが、だんだん目が慣れてくる。暗闇の中で、水の底に沈む自分の体が見える。青白くて、ホルマリンの中の死体のようだ。浴室の扉の向こうから何かが這い寄ってくるような気持ちがする。暗闇をおそれる気持ちなんて久しく忘れていた。思い出して、初めのころは身震いした。今は慣れてずいぶん楽しさがまさっており、最近ではシャンプーも暗闇の中でおこなったりしている。

一睡もできないままベッドにもぐって目を閉じていたところ、閉まっている扉の向こうから赤んぼうの泣く声が聞こえてきて、それがあまりにかなしく寂しいので恐ろしくなった。マンションの隣のベランダで泣いているのかな、と思い込もうとしたけれど、だんだん泣き声が近づいてくるような気がする。扉を見る。絶対にすぐそばにいる。怖い、と思って声を出そうとした瞬間、空気がゆがんで声が吸い込まれるような、無力感をあじわった。怖い怖い、これはまずい、と思ってとにかく叫んだ。実際はひどくうなされて、最初の夫の名を呼んでいたらしかった。後ろから抱きしめられて、大丈夫、大丈夫、と言われるのが聞こえた。それでも体は、というか声は止まらない。意味をなさないうめき声で名を繰り返しながら、ずいぶん長い時間が経ったようだった。次に見たのは昔の友だちの夢で、ここでも、何か置き去りにされるみたいな虚しさだけが残った。タクシーに乗って帰ろうとしたけれど家の場所がわからなくなってしまって、ぜんぜん知らない町の名前を運転手に告げてしまい、車ごと迷子になった。