2015年6月27日土曜日

大型犬の死

昨日、実家に向かっていた時のこと。大型犬が、食べたものを全部吐いてぐったりしている、という連絡を父から受けた。三週間前に摘出した腫瘍は良性で、高齢ではあったけれど、ずいぶん元気になったように見えていた。何があったかわからないまま、走って家に向かった。大型犬は、床に伏してかすかに息をしていた。目をときどき瞬かせ、顔も少し動かしたりする。私が顔をよせると、私のことがわかって、鼻をくんくん言わせた。小型犬をもう一匹いっしょに飼っていて、その子は私が家に来たことを喜んでくれたけど、それどころではないので、しばらく抱っこしてからケージの中に戻した。

落ち着いたら、獣医に連れていこうと思っていた。本当は、今すぐ行かないともうだめなのではないか、と思った。でもこんな状態では動かせないし、飼い主である両親の意志を尊重しなければならなかった。1時間前まで、元気にごはんも食べ、家の外に出たりもしていたという。何でこんな急に、と母は言いながら、病院に連れていく前に、家族の夕食のしたくをしていた。

犬のくちびる、舌は真っ白で、重度の貧血を起こしていることが見てとれた。口元も、頭も、足の先も冷たい。脈が取れない。血圧が急激に、下がっていた。なでながら、声をかけることしかできなかった。大型犬は、台所の母の様子を気にしながら、立ち上がろうとしていたけれど、足に力が入らないみたいだった。

様子が急変した。呼吸が時々止まっては、不規則に吹き返された。それで、台所にいる母を呼んだ。小型犬をケージから出して抱き、いっしょに付き添った。名前を呼んでも、もうだめだった。瞳孔がひらいていた。もう呼吸はしていなかった。生きていたものが呼吸しなくなって、あんなふうにして息絶える瞬間をはじめて見た。何でこんな急に、ごはんの用意なんかしていないで側にいてあげればよかった、と言って母は泣いた。

12年間、家族をつなぎとめてくれた大型犬のため、その夜は妹も弟も早く帰宅した。私も実家に泊まり、大型犬のそばの床に寝た。小型犬は、自分を育ててくれた大好きな大型犬が死んでしまったことがわからないようで、しかし、動物の勘だろうか、横になった大型犬のしかばねはかつての大型犬ではないとして、近寄らなかった。翌朝になってから、少しにおいをかいだりしていた。

夕方、大型犬を、葬儀屋(というのだろうか?)が引き取りに来てくれた。家にいた家族はいっしょに付いていったが、私は小型犬をひとりにできないと思い、家に残った。大型犬をおさめた白木の箱が、車に乗せられて運ばれてゆくのを、抱っこして小型犬に見送らせた。家の中に戻ると、小型犬は急に鳴いて、大型犬を探し始めた。さっきまで、大型犬のしかばねが寝ていた場所をかぎまわって、私が呼び止めるのも聞かないで家中を走りまわった。どうしても、外に出たいと玄関で私に訴える。リードをつけてやり、外に出ると、一目散に門の外まで走り出た。しかしすぐに立ち止まった。門の中に戻ると言う。行きたいようにさせてやると、家の車をとめてある車庫から庭の方へ抜けてすみずみまで大型犬を探している。でも、もうどこにもいない。

もう一度門の外に出た。いつもなら元気に散歩に出るのに、今日は数歩歩いて立ち止まってしまう。大型犬のにおいを感じ取れずに、途方に暮れているのだろうか。しばらく茫然と外にいて、小型犬は家に戻ると言った。ふたたび家に戻ると、もう小型犬は鳴いたりせず、静かに、かつて大型犬とふたりでよく眠っていた玄関の冷たいタイルに横たわって、じっとしていた。 



2015年6月14日日曜日

不満

寂しさよりもっと濁った何かがつかえて眠れない。人のいる喫茶店で文章が書けない。自分ひとりだけで自分ひとりの人生を生きることができない。もう誰とも夜中に電話でつながることができないし、横で眠る人の息の根をとめることも許されない。

2015年6月4日木曜日

東洋医学

鍼灸院に行った。文章を書きたいという欲望にめぐりあっていなければ、私は漢方医か鍼灸師になりたい人生かもしれなかったと思うくらい、東洋医学には憧憬をよせている。院長は私の顔色を見て、首から肩から順に診断してゆき、肌の上から子宮に触れて「わ、硬い、これはよくないな」とひとり言を言った。「鬱だった時の体の疲れが取れてないんだよ。でも大丈夫、治してあげるから」と言ってくれて、私は涙ぐんだ。院長は忙しくカーテンで仕切られた患者たちの間を行き来して、触れた瞬間に判断をくだし、適切な処理をほかの鍼灸師たちに命じていく。

「先生、こんなに体の事わかるなら人の心もわかるでしょう」と、カーテンの向こうで女が言うのが聞こえた。「わかりすぎてねえ、嘘つきたくなっちゃうくらいよ」と院長は答えた。「言いたいことをね、いつも100秒くらい我慢するの。わかりすぎちゃうから。で、100秒我慢してるとトロいって言われるんだよなあ」と、おおどかに笑う彼を、私は信頼した。院長は私の首に長年巣くう、悪魔、いや大閻魔のような血のかたまりを瞬時に探り当て、鍼を突き刺し、脳天まで響くような施術をおこなった。すばらしい手際だった。その日は一日体が熱くてねむくてたまらず、翌日は鈍重な頭痛にさいなまれたが、昼過ぎからふと頭痛が去って、体が軽くなった。ここには、しばらく通うことにする。

2015年5月30日土曜日

頭痛の種

最近二十歳の彼女ができたんやけど、顔がね、完全にきみの若い時みたいでさ、なんか複雑やわー、なんて言うので、あっそっか私もきみも、若い時があったと振り返れるくらいに今は遠くまで来てしまったんだって、地下のライブハウスで思った。かつてそこにいたかでさえ、もう定かではない古都の情景だけがわたしたちを結んでいる。かろうじて。もしかして、ほとんど残像だけで。

昨夜は排卵頭痛がひどくてひどくて眠れなかった。きみはあいつに会いに行く日にはいつも不機嫌だよ、と指摘して私の不甲斐なさをこんこんと叱ったあげく先に眠ってしまった人の横で途方に暮れ、天井を見上げながら首筋を押さえて、頭の重さで何とか頭痛を緩和しようと夜明けまで奮闘した。

ベランダからエメラルド

私が5歳のころ、母がマンションのベランダからエメラルドの指輪を落としたことがある。母はまだ弟を産む前で、指は細くかよわく、すべすべしていたのだった。スクエアカットに、テーパーカットダイヤを放射状に配置したシンプルな指輪で、子供ながらに私は母のその指輪が好きだった。「あっ」と、布団を干していた母が言ったのを、遊んでいた私は聴いた。母は、今の私より少ししか年上ではなかった。すぐに彼女が電話機を取るのを、私は見ていた。母が「もしもし、お姉ちゃま、助けて」というような電話をしてから30分後、伯母が車に乗ってやってきた。なぜ伯母が呼ばれたのか未だにわからないが、たぶん、小さなものを探す才能が伯母にはあったのだろうと思う。伯母はベランダの下の、草の生えた地面をかぎ回るようにして指輪を探し、とうとうそれを見つけた。私は今もエメラルドが好きだし、いつか、母がベランダから落としたあの指輪を譲り受けたい。

2015年5月18日月曜日

状差しの地層

恋人にあてる手紙にもいろいろある。相手が自分にどんなに素晴らしく見えているかをのぼせたように書き連ねているものや、気を引きたいあまりに自虐的な自意識を並べて言い訳に終始してしまっているもの、自分が今何に関心があるかだけを書いているものなど。

めざとい母は「あなた顔が細くなっちゃって、どうしたの、食べてないの」と言った。熱っぽい顔で咳き込んであまり喋らない私に、遠縁の叔母は「うちの息子のお嫁さんがね、もともと細いんだけど、つわりで更に痩せちゃって、入院になっちゃって」と話しながら、私が今にも妊娠を打ち明けるのを待っているようだった。

2015年5月15日金曜日

内省と孤独

控えめに言って私は、愛する人をいとおしむ才能に恵まれているのだから、わざわざ、不感症の人間に対抗することなどひとつもないのだ。とはいえ、不感症には不感症なりの研究テーマがあるだろうから私は私で、男たちのための女として自己を錬磨しよう。いつかかなたへ飛び去る日のために。

2015年5月11日月曜日

地図をつくる

架空の町をタクシーで走った。私は犬を三匹連れて帰るところで、紐を三本握りしめ、犬たちとバックシートに座っていた。運転手はトンネルを抜けたところで道がわからなくなったと言い、その間にもメーターは1秒に300円ずつ上がって、信じられないような金額をつけた。私が「交番に行って降ろして」と言うと、運転手は「交番なんてわからない。行ったことのないところには行けない」と泣きべそをかき始めた。私はグーグルマップを取り出して、それは異様に精巧な架空の町の地図だったのだけれども、画面をいくら指さしてもはげでちびの運転手は泣くばかりだった。犬たちはずっといい子にしていた。起きてから、頭の中の地図を少し書き写した。

2015年5月10日日曜日

坂道は百合の匂い

わかっていないと言うのでわかっていると言うとそれがわかっていないということなんだと言いじゃあわからないと言うとわかれよとか何とか言う人が、そんなものただの嫉妬だと言い捨てるし、その人自身は果たしてわかっているのかどうかと言うとそこについては言及しないずるさを見せるので、ひどい私はあなたにひどいことをしたい。

別れたくない、とすがって泣いたことがある。もうあなたみたいな人には出会えない、と本気で思ったのでそのように言った。その時男は私を傷つけるため、そして恐らくは自分を守るため、いいやお前は絶対すぐに別の人間を好きになる、すぐに他の男が現れる、俺にはわかってる、と冷静にいたぶるように言った。そんなことない、と私は一生懸命になおも泣いたが、涙が乾いて10年が経ち、私はあの時の男と同じ年齢を迎えている。

マンションの入口で、夜のうちからごみを出そうとする住人とはちあわせた。女は洗い髪で、シャンプーの香りをさせていた。私はこの世でいちばん、匂いという匂いの中で女のシャンプーの匂いを嫌っていて、どんなに親しくてもシャンプーの香りをさせている女は許せないどころかそもそも親しくなることはないからそんなこと心配しなくてもいい、というほどなので、ひどい嫌悪を催した。エレベータに乗ると生ゴミとシャンプーの混ざった湿った空気が充満していて、今すぐ階段に変えたかったけど身体がもう箱の中に入ってしまっていたので仕方なかった。吐き気と窒息のどっちを取るかで文字通り死にそうになったし、もし私が今妊娠していたら間違いなく、ここで嘔吐していた。

2015年5月9日土曜日

DEAD OR ALIVE

行方が知れず連絡もよこさない男だが、それでも私のことを本当に好きなのだと、占い師が言う。気付くと動悸がして、床に座り込んでから2時間ほども経っている。生きた体は、一時的に目をくらませるだけだ。執着でも愛でも狂気でもなく言うけれど、この目で耳で、信じさせてもらえるなら心も体も生死は問わない。

浅い眠りから覚めて、指先をこわばらせるところまではいつもやる。そこから枕の端に手をかけて、渾身の力で絞り上げる。 明け方に首をしめることくらい、いつだってできる。