2013年7月25日木曜日

暗い廊下

昨夜は2時過ぎに一度眠ったのだが、奇妙な手触りの夢を見て、青ざめて起きた。廊下のような場所を歩いていたところ、ある地点からついているべき明かりが全く消えていて、 見るとそこから先はぼうっと不自然に暗くなっていたのだった。電気の消えたくらい廊下、その先から何かがやってくる、という気配を感じた。とても大きい、怖い、暗い何か。とにかく暗いのが怖くて、声を上げたい、と思ったけれど喉がつぶされたように何も言えなかった。やっと思いで目だけ一生懸命開けた。一瞬、どこの部屋にいるのかもわからないほど混乱していて、自分のベッドとカーテンを一生懸命見つめたけれど、何か光っていてちらちらする。やっぱり声が出ない。少しは出るけど不自然に震えてかすれる。確かに起きて声を出そうとしてるのにだめで、こういう声の出ない夢は昔からたびたび見るのだけどいつも本当につらい。でもこれは夢じゃない。そうこうしているうちに、ついに弟(小さかった頃)の声の幻聴も聞こえて、あの子を守らなきゃ、という謎の使命感がわき上がったけれど、身体はやっぱり全然動かないのだった。何かがのしかかっているような気がするのに正体は見えない。そのうちだんだん息ができるようになって、身体のしびれがましになってきたので、怖い、怖い、と思いながら枕元の携帯電話を取った。こんな時間にどうしよう、でも、と思って、今自分が生きてるのかもよくわかんなかったので、とりあえず人に電話したけれどその人は出なかった。動悸がしたまま、目を閉じて眠ったら、その人と、もう数人知っている人が出る普通の夢を見ることができて、そのまま朝になった。

2013年7月24日水曜日

真夏の呼吸

階段から落ちた傷がまだ治っていないので、こんな真夏に黒いストッキングで出勤している。そうなると、スカートも靴も黒くなるので、暑くるしいことこの上ない。せめてシャツは涼しげでいたいと思うけれど、冷房のもとでカーディガンを羽織るなら別に何を着ても同じだ。

今日のランチは一人だったので、Perfumeを聞きながら駅前までサンドイッチを買いに行って、隅田川沿いの公園まで戻ってそれを食べた。日傘はさしていたけれどもちろん日差しは強く、じっとり汗ばんだ。でも、夏に外を歩くのなら絶対に七月がいい。八月は、あれは残暑というのであって、夏ではないと私は思う。太陽の意志が前だけ向いているのも、夏の花が上へ上へと伸びるのも七月までなのだ。 それを過ぎたらあとは秋めいた衰えの影が透けるようになる。どんなに暑くても、それは七月の余熱。

会社で、申告シートを提出させられた。部長や、人事部に見せるためのシートである。現在の部署で何をしているかとか、何か相談したいことはあるかとか、今期の目標は何か、とかいうのを書く。どうも春に異動して以来、以前、どうしてあんなにしぬほど働いていたのかよく分からなくなってしまった。それはいいことのはずなのだが、たとえば転校生が前の学校とキャラが変わってしまって、勉強も好きだったはずなのに新しい学校では勝手が違ってやる気が全然出なくなる、みたいな感じだろうか。ともかく勇気を出して、 申告シートに「上司面談希望」というチェックをつけた。話した結果や、今期の仕事ぶりの結果でこれまでの私の評定は下げられることになるかもしれない。でも、残業も減ってるし、会社への貢献度は下がってるから仕方ない。もともと私は、学校や職場など、ある集団においてはたいてい、高評価をもらうことに慣れている。(これは、自慢でも何でもなくて、20年来の被評価経験をもとに言っているだけ。キャラクタとか実績とかをもとに、先生や上司が私を評価するのである)慣れているから特にうれしくもないし、他の人に認めてほしいことをがんばりたいと思うので、評定が下げられたところであまり何とも思わないかなあ、というのが今の率直な気持ち。10月のシステムアーキテクト試験、どうしようかな。忙しいだろうし、でも年一回の試験だから申し込みだけはしようかと思う。

2013年7月23日火曜日

七つの森

普通に起きるつもりだったのに、いつも聞こえる目覚ましが三つ、どうしても聞こえなかった(としか思えない)ので、起きたときには仕事に行く気も失せる時間だった。シーツか枕カバー、お布団、何でもいいけど繊維の間に細かくなって入り込んで、もう消えて居なくなりたいと思ってひたすら目を閉じていた。そういう時は14時くらいまで全然動けなくて、起き上がったところで家から出られないので、台所で紅茶を飲むくらいしかやることがない。 17:00も過ぎてからやっとお化粧をして、ソワレの公演によろよろ出かけた。

うれしいとか楽しかったとか、そういう気持ちが長続きしなくて参る。携帯電話の電池は買って二年くらいすると全然もたなくなるけど、そういう感じ。気がつくといつものあれが広がって、台無しになっている。

18歳の友達に、劇場で久しぶりに会った。彼女に「去年初めて会ったときから今までどんどん綺麗になってると思います」と不意に言われて、それがお化粧のせいとかではなく本当だとすると、理由には心当たりがあったので恐縮してお礼を言った。彼女は、新高円寺の珈琲屋さんで私の写真を撮りたいと言ってくれた。それが今日一番うれしかったことなので、たとえ(私の欠陥により)気持ちが長続きしなかったとしても、また思い出せるように日記に書いておく。

2013年7月22日月曜日

応用読み問題

次の例文を恙なく詳かに読め。

1.
憚る必要もないから言うけど、この街一番の美丈夫と昵懇な間柄なの。驕っているわけでもないわよ。閨で彼を待っていると、彼は蔀をそっと開けて旋風のように舞い込んでくる。因襲の桎梏からは逃れられないものね。彼の榛色の瞳はとても綺麗だから躊躇なんて無いし、後朝の別れが来るまで、縞模様の羽織に抱かれていたいっていつも思うわ。

2.
猪口は二つでいいかな、まあ聞いてくれ。石花石膏の肌理をした女に誑かされたんだ。ふたり気配を消して躙り寄って、手を取った。襦袢を透けて光が滲む姿はまるで衣通姫の末裔で、たとえ草の褥の上でだってその残滓を啜らずにはいられない。ただ、こんなこと言うのは烏滸がましいけど、そういう時は悉く裏目に出るものだね。そのとき襖を開けて現れたのが我が莫逆の友、勅使河原君というわけだよ。

3.
初な娘を拐かして落花狼藉を働いたなんてひどい言い草だな、四方山話をしていただけだ。思うが儘に花弁を散らして蹂躙はしたけど、そのあと壁一面に髑髏の絵を一緒に描いた。だって可愛いんだよ。家鴨みたいな唇でさ。僕は、いつでも立場を弁えて約やかに話す女が好きだからね。

4.
燐寸なんか要らないわ。郭の傾城じゃあるまいし煙管なんて吸わないもの。私に瑕疵は無いんだから庇って。いっそ攫って。等閑にしないで。爪に鑢を掛け終わるまでは待って。

5.
あら、梢に鶸色の鸚鵡が来てる。こんな時分に珍しいこと。この森には樫や楢の大きな木があって、秋には団栗が拾えるのよ。春には蕗の薹も生えるし、薇だって取れるみたい。奇妙な話だけど、仙人掌も植わっているの。本当だってば。私は躑躅が一番好きかな。紫陽花にはまだ早いけれど。一度にたくさん花をつける樹が好きなのよね。

6.
本当はとても億劫でしたのに、嫂が無理矢理にね。余りにお育ちに矜恃をお持ちの方だから生来曖昧で茫漠とした私にはお相手が務まりませんでした。此処だけの話だけど、あの方、三和土で鶉を飼っていらっしゃるんですって。わたし鶉はちょっと。軍鶏も怖くて。だから屏風の前で華燭の典というわけには参りませんでしたの。欠伸ばかりしてしまって退屈だったんじゃないかしら。うまくお話ができなくて、全く忸怩たる思いですわ。

7.
駱駝に乗せる鞍よりも、翡翠か瑠璃か玻璃の玉を私に贈って。無ければ石鹸でも良いし蝋燭だって良いけど、もし私が天鵞絨を欲しがっているように見えたのなら、それは誤謬。

8.
まったくその窶ればんだ様子ときたら、ひどい為体だな。蝙蝠か蜥蜴に逃げられただけだと思えよ。強請に遭ったわけでもあるまいし、いつかまた東雲の日も昇るさ。狼煙を上げて、ほら、骰子を振れ。

9.
十露盤を振って音を出しているだけでも良ければ、側にいるわ。こんなことで靡くような人じゃないのは分かっているから、せめて餞の菫だけでも受け取ってね。

2013年7月21日日曜日

ジュスティーヌ

本当にやりたいこととか、本当にそばにいたい人とか、って言葉に窒息させられそうになっているけど、私が今いる場所、人、やってること、送っている人生が結局本当の私の人生なのだと思わなければいけない。そうじゃない本当のことなんてやってこないし、最初から全部本当なのだ。

誰かに浸食されたことによって守られる領域があって、それをこの人は知らない、という形の抵抗を試みることがある。別にその時々の恋人に対してというわけでなく、どちらかというと普遍の敵に向けられたもの。私の表面はいざ知らず、身体はあなたの自由にはならないという意思のあり方として。それから、心底私だけを見てほしいけれどそれが叶えられないときの拠り所として。間違ってるかどうかなんて聞いてない。他人を通して知る自分、というのがあるというだけだ。でも思えばずっと、理解されない武器を身につけることで、何かを守ってきたような気もするな。

どれだけ強く抱きしめたら言葉を使わなくても伝わるのか、やってみたところできっとよくわからない。 私の愛は、甘く見合うことと許し合うこと。その相互的なバランスなしにはあり得ない。私が甘く見る余地を持たせてくれない人、私を許してくれない人とはやはりだめだと思う。ひとりで出来る愛と言えば、あなたに長生きしてほしいと願うことくらいである。


女に対してすることは三つしかない。女を愛するか、女のために苦しむか、女を文学に変えてしまうかだ。( ロレンス・ダレル『アレクサンドリア四重奏』) 


※上記引用は、来世で男に生まれたときのための備忘です。

2013年7月20日土曜日

マドモアゼル・ブランシュ

川沿いの公園で津村記久子を読んでいる人がいて、確かに、この場所で、昼休みに読むのにふさわしい本だなあと思った。

マンションの外階段で、服の裾をひっかけて落ちた。おかげで仕事に遅刻した。主に右側を負傷して、特にひざとひじがひどい。皮膚から出る血を見たのは久しぶりだな、ということを考える余裕は、あった。時間が経ってからのほうが、青と赤の痣になって痛む。

今週は横浜に(ふらっと行ける距離じゃないけど)たびたび行ってしまっている。STスポットが地下にあるというのが、いいのだろうか。日のあたらない、白いきれいな壁の劇場。まったく嘘みたいに浮き世の気配を消した空間で、人と関わる、今生きてる人だけじゃなくてもうここにいない人、人だけじゃなくて生き物、命だけじゃなくて時間、季節、空気、あらゆるものを愛することを、私はできるな、って思った。対話は別に言葉だけでしなくてもよくて、でもそれに気づくまでにはたくさん言葉での対話(に似たものとか、すれ違いとか、わかりあえない悲しさを知るとか)をしないとわからない。
 
居酒屋の隣の席で、あの人とつきあう人生もあったなあ、という会話を横で聞いていて、急に力が抜けた。 そんなの、思って生きていたらきりがないわ。考えたら今何で生きてるのかわかんなく、なるわ。

でもそれが原動力になるんだったら生きるしかない、ってところで、これまでもこれからも、やっていくしかないのだと思う。 

2013年7月17日水曜日

東京と私

東京といえば今も昔も人の集まる場所で、それこそ故郷に恋人を置いて上京、なんてドラマもよくあること。だから東京には、誰かを置いてきた人はいても、置いていかれた人、というのはいないと思われているのではないか、と常々思っている。被害妄想だろうか。でも私ときたら、22歳の春頃から、東京に置き去りにされる経験を何度も何度も、しているのだ。18の春でないのがやはり学園都市東京ならではのタイムラグか。みんなみんな行ってしまうのね。私、独りぼっちね。私が置いていかれたことに気づく人も、この街にはいないのね。東京の小さな路地を行ったり来たりして私の見ている景色、誰かに教えてあげたいけど。

東大卒の人が何人かいる飲み会というのが最近あって、反射で「すごいですねえ」みたいな言葉も聞かれたのだけど、そんな中、東京の進学校から東大に入った人がぽろっと「本当にえらいのは県立のトップ高校から入った人ですよ。東京の学校から東大入るのは、そんな難しくない」と言ったので、私は顔を上げた。東京(京都とか大阪も)と他の地域では、受験のやり方も違うんだな、そういえば、と思った。私の大学にも県立高校から来た同級生はたくさんいて、彼らと、私立高校という概念をうまく共有できなかったことを、思い出した。その逆もしかりだ。私の県立高校のイメージは、恩田陸の『六番目の小夜子』。

東証と大証が今年から経営統合していて、昨日からシステム的にも統合された。大証に単独で上場していた銘柄のデータを全部東証に付け替える対応をして、その他細かいこともいっぱいやったけど、これでまた東証の時価データが巨大化するなあ、名証、札証、福証、あと大証のデリバティブなんてちっぽけなものだなあ、と思った。地方経済への影響はよくわからないけど、表向きは東証の国際競争力がアップするぜ、みたいなことだけが話題になっているのだった。時価総額ではたいしたことないけど、銘柄数(世界第三位になった)が何かの価値になったりするんだろうか。

昨日の帰り道、玄関先で迎え火を焚いている家を見た。東京のお盆は7月。私の家族も、帰ってきていることだろう。

クレマチスは青

歩いてて誰かのこと考えたり、独りごと言ったりしてると涙が出ちゃうことがあって、ずっと何でなのか分からなくて、寂しいからだと思っていたんだけど、ああ、怖いから涙出るんだ、というのが今日わかった。私、怖かったんだな。今も、怖いな。人生に分かれ道というものがあるなら確実に私はそこに立っている。 これまでとは少し違う分かれ道に。一昨年くらいからずっと、私の価値観を覆したり、補強したりしてくれるような出会いがたくさんあって、大きな出会いもほんのいくつかあって、それなのにどういうふうに生きていくつもりなのか全然決められなくて、今見えてるはずのものも信じられない。それは、信じたらどうなるのかが怖いからだ。ここでどうするのか、何か誰かに試されているみたい。

というようなことばかり書いていてもしょうがないので、きっぱりあきらめる、ことが出来ればいいのだけど、それが出来ないということを思い知っている程度には、自分のことがわかっているのだ。 本が読みたい。

2013年7月15日月曜日

愛といって差し支えない

優しい人がいいです、という言葉の意味のなさに愕然とする。優しさなんて、私にはほとんど必要ない。そんなこの世に存在しない概念よりも、知性と少しの想像力を持っていてほしい。それで見た目がもともと好みもしくは思いの外好みというのが、素敵なんじゃないの。え、違うの。
 
東京デスロックの『シンポジウム』を観て以来、一人で閉じ込めようと思ってた気持ちが燻って困る。なのでこつこつ考えて、書く。 あの場所に連れて行きたい女の子のことを思い出してメールしたのであと一度は観る。

彼の日、劇場でYさんに、最近私が書いた二種類の文章A・Bについて言及された。Aは先日書いた劇評。Bは演劇作品のおすすめ文。要は、印象が全く違うので「どうしてAみたいなものを書いたあとにBが出て来るのか」ということを聞かれた(と思った)のだが、それぞれ違う部分を使って書いてるから、とも言えるし、源泉の気持ちは同じだから読んだ印象が違っても本当は同じ、というのが正しい気もする。

愛について考えると、対象になる様々な人、もの、生き物について考えることになる。たとえば私は弟(7歳も離れている)を溺愛していて、これまでどんな恋人も弟の地位を超えたことはない。たとえば男の人に、私の料理について「味が薄い」みたいなことを言われたとしても私は「ごめんね、自分でお塩ふってね」とかで済ませるだろう。でも弟に一言「おいしくない」と言われようものならただちに作り直すし、まあそういうのが愛かもなあ、と思っている。(弟は格別に味にうるさいので、彼を満足させておけばたいていの場合は大丈夫なのではないか、という話でもある)

話がそれたが、愛する人のことを考えながら、その甘美な沼から這い上がって、愛そのものについて近づけるよう、考えを束ねる作業をしなければならない。溺れる人について語る際に自分が溺れていてはいけない。などというのは簡単だが、私が本当にしたいのは、溺れている自分を岸でじっと見ているもうひとりの自分を得る、ということなので、今の話も関係あるような、ないような。

2013年7月14日日曜日

忘れがたい夜を

ともかく、忘れがたい夜を重ねていくしかない。

ナオミちゃんと六本木で、シャンパン、マッシュポテト、オリーブで乾杯。10年ぶりに会うS嬢が来るというので、合流を楽しみに待ちながら創作と性愛の話をした。唇は言葉。しゃべるのをやめてすることは、せめて交わす言葉と同じくらい重くあるべき。言葉を使うよりも今はこれでなくてはだめだ、と思って及びたい。交わす言葉に見合わないキスはできない。S嬢は結婚して名前が変わり、S夫人になっていた。

 「え、自分で書いたもの読み返すの?大事なの?」
読み返しますよ。大事…というか、まあ、身体からは切り離されるけど、でも、
「じゃあさ、あんたは絶対自分の子どもを大切にするよ」
え。

私が長い間、私と私が書いたものは私と私の娘くらい違うもの、と思い続けてきたことを、彼は知らないはずだった。そして、私と私の娘の距離の危うさを、一言で突いた。やっぱり怖い人だ、と心底思った。