2013年8月20日火曜日

晩夏の情景

人生のある時期において、やたら会って一緒にいまくる人というのは、いる。確かにいる。なんであんなに一緒にいたんだろう、というくらい一緒にいた友達が私にもかつていて、そういう人は性質上、まあ、学生時代に多くいたけれど、なんでだったかは今となっては思い出せなかったりもする。でも、あのときにしか築けないものがあった、などと安易に言ってしまうのは悲しい。

しばらく日記を書いていないうちに、いろんな人に会った。SA氏とHA嬢とごはんを食べたのも楽しかった。ひとしきり演劇の話をしたあとに、HA嬢が、このごろ食べものを飲み込むときによく噎せる、という話を始めた。それで私も思い出した話があって、私は27歳のころに一気にいろんな不調に見舞われたのだ。一番顕著だったのは、人の名前を思い出せなくなること。名字はわかるのだが、下の名前が出てこなくなってしまった。なぜか今はその症状も落ち着いて、普通に、名字、名前を漢字で覚えられるし、お誕生日がいつか、という情報なども聞けば忘れないが、当時はそれがうまくできなくて大変なショックを受けたものだった。私も、27とか28のころにごはん食べながら噎せて泣いてたかも、と言ったら、HA嬢は笑ってくれた。たぶんプログラムの書換えみたいなものが一時的に起こっているんだよ、と私は言った。

ある小説で男が、20代前半の女と寝た翌日に30過ぎの女を抱く、という状況があって、つやつやした若い娘に比べて「30歳の女の身体はどこまでも柔らかかった」的な描写があったのを、今も執念深く覚えている。それを読んだときは、私は20歳そこそこの若い女で、若さとは恐ろしいものだから「へえ、そんなもんかね」と特に無関心でいたものの、実際にそういう年に近づいて、ああ確かになあ、と今思ったりするのだ。やわらかさが増して、かわりに失ったものを惜しく思うことは、幸せなことにあまりない。しかしあの頃「胸の上にあばらが浮くようになったら、お前の若さも終わりだ」と教えられたことも、よく覚えている。鎖骨の下を撫でて、その言葉を実感したのはいつ頃だっただろうか。

土曜日は、吾妻橋ダンスクロッシングを見に行って大いに楽しんだ。「夏らしいことした?」と休憩中に聞かれて、全然してないや、と思ったけれど、そのとき私たちは隅田川のすぐそばでビールを飲んでいて、風が時折抜けていくのを感じながら、帽子とワンピースの話をしたり、まだ誰とも出会っていないころの昔の話をしたりしていて、こういう懐かしさっていうのは、きっと夏らしいことだよな、と思った。

週明けは、仕事に行くのが憂鬱で困る。今朝は、打ち合わせがあったのでがんばって起き上がった。その前に、一度目が覚めたのに、何かの弾みでまた目を閉じてしまい、延々と人とすれ違って会えない夢を見て参った。行き違って人に邪魔されてバスを間違えて、再び目をあけたときにはもう疲れきって、まだ朝の7時でこれから一日が始まるなんて信じられなかった。あんなに会えないなら、いっそ「私はあの人に会いたいの!」って大きな声で言ったりすればよかったのに、それができなかった自分に一番疲れた。

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