2013年11月12日火曜日

教育

少し前、飲みながら、隣の女の子が別テーブルの人々のやり取りを聞いていて「なんか童貞っぽい」と言ってきたので「童貞っぽいんじゃなくて、年上の女に教育された感じが無いのよ」と答えたら、彼女は膝を打って喜んでくれた。役に立ててよかった。

環境について、このごろよく考える。「こういう環境で育ちました」とか「こういう人たちと関わりながら生きています」ということが、その人自身に影響していないわけがない。いくら抵抗しようとも、逃れられないものはあって、その受け入れ方が最近の私のテーマだ。大人になってから自分の意志でおこなった選択に意味が無くなるほどに無自覚に飲まれるわけにはいかないが、無碍に切り捨てることもできないものの中にその人がいるだろうし、そういう諦めと抵抗のアンビバレンスにとても興味がある。

正直、他人が引くほど気分と体調にむらがあって、まずい。20時間ほとんど寝たきりだったり、カーテンもまったく開けず、お湯をわかしてお茶だけ飲む生活だったり、パンを一口だけたべて捨てたり、掛かってきた電話にも半分怒りながら対応したりするので、前まで普通にできていたことがちっともこなせない。会社から来た封筒も、一週間開けないで放置しているし、どうして開けられないのか、開けたくないのかも自分で分からない。困るのは、まわりにも私が「もともとそういうところのある人」と思われていることだが、心配されたいのかされたくないのかもわからないし、されたところで「心配しないで」などと怒ってしまうだろうから、一体何なんだろうと思う。

好きでもない男が自分の認識できるほどの近くに寝ている、という状態が大嫌いで、夜中のファミレスでいびきをかいて寝ているひとがいるので、ものすごく帰宅したい。私のそばで寝ないでほしいし、寝るなら呼吸器からの音はさせないでほしい。

とりあえず三十二歳までは、途中で死ななければ生きると決めた。それまで、今好きな人たちのことを好きでいたいと切に思うし、自分も好きなことができていればもっといいけれど、好きな人たちが生きていてくれるだけで、今はいいな、と思う。フランス語は勉強したことがないけれど、フランス語の「すごく愛している」という言葉は、逆に軽い意味になると聞いた。辞書に使用例として「彼のこと愛してるの?」「すごく愛してるわ(=好きって程度だけど)」というのが載っているらしくて、べつにその精神性に共感はしないが、心の片隅に置いてもいいとは思う。

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