2013年11月14日木曜日

彼女たちの履歴

本棚を片付けていたところに、母がやってきた。私がせっせと作業している横で、手伝うこともせず急に、高校生だったころに、深沢七郎が曳舟にひらいた太鼓焼き屋に行った話を始めた。あまりに突飛な話なので信じがたいと思ったが、そこの包み紙は横尾忠則が描いていた、というので、どんなの?と聞いたら「何かすごい原色のやつ」というざっくりした、しかし横尾忠則の本質を突いた答えが返ってきたので、どうやら本当らしいと思った。「お嫁に行くまではその包み紙を持っていたんだけど」と彼女は言った。それから彼女は、「話の特集」という雑誌が好きだったこととか、そこの編集長だった矢崎泰久という男のこととか、彼女が彼を直接知っていたかどうかはその話しぶりからはわからなかったが、ともかく私の片付けのリズムにあわせた雑談を繰り広げつつ、紅茶を飲んでいた。そうして唐突に「あっ、シモーヌ・ヴェイユ」と声をあげたかと思うと本棚から『重力と恩寵』を抜き出し「懐かしい、読んでいい?」と言って、何が懐かしいのか説明もせず、持って行ってしまった。

このごろ、一族の女たちが妙な一面を私に見せる。人生の岐路を迎える年齢になった私を、新しく迎え入れた仲間として、打ち明け話でもするかのようだ。結婚前の大失恋の話とか、大きな借金をいかにして返したかとか、そういうのを次々聞かされていると、今の自分の年齢だってずいぶん生きたように錯覚しているけれど、まだまだいろんなことが降り掛かるに違いない、と思って茫洋とした気分になる。

父の妹に電話をした。あまりにメールを返さない不義理を働いていても、心が痛むし、こじれてよくない。彼女はだいたいいつもそうであるとおり、だいぶ陰気に酔っているようで、彼女の夫が飛び降りたときに私がどのように励ましたか、それがどれくらい支えになったか話してくれた。そのあと私の子供のころの話をして、私も娘がほしかったの、と湿った声で言った。

本棚を片付けていると、学生時代に買ったり読んだりしていた雑誌や演劇のチラシ、パンフレットが大量に発掘される。その中の1ページに、見知った人の名前を見つけてはっとした。もちろん当時の私とその人は知り合いでも何でもないのだけれど、しかし8年もの間、私の部屋の片隅にその人の痕跡が記された紙が眠り続けていたというのは不思議なことだ。人と人が出会うということは、顔をあわせ、言葉を交わすことだけではないと知ってはいたけれど、しかし何にせよどちらかがどちらかを認識するところからが、出会いの始まりだと思っていた。「もしかしたら、あのとき同じ場所にいたかもね」みたいなことは、ロマンチックではあるが、ただのすれ違いであって出会いではない。だが(気づくにせよ気づかないにせよ)その人物の確たる痕跡が私の人生に掠っていたということは、物理的な実感を伴うもので、こういう「出会い」について考えることは、私が演出家だったら作品につながったかもしれないが、私は演出家ではないので、このように日記にしたためて終わることにする。

0 件のコメント:

コメントを投稿