君は簡単にショックを受けすぎだよね、と、港町のカフェで言われた。そう振る舞っているつもりがないことほど本当の自分を映していることは分かっているので、恐らくそうなのだろう。自分で自覚している自分のことは、半分くらいしか信じないのがよろしい。しかし、ショックを受けながらもどうやって書くか、誰に話すか、どう描写するかを同時に考えることが、私にとっての緩衝剤になっている。私の行動に対してどうももの言いたげなので「未練がましいかな」と聞いてみると「いや、まあ何だろうね」と言葉を濁してどこかへ行ってしまった。
蜜柑をむいて食べながら、床に仰向けになって転がって、今自分が死体だったらどうかな、と考えたけれど、死んでいないので死体ではなかった。人が蜜柑を一生懸命むいてぱっぱと口に入れる姿は、小動物のようなスピード感を持っているので、どちらにしても人間ではない。
自転車で街の肌をなぞる、というモチーフが最近見た演劇に出てきて、それについてはきちんと書いている途中なのだけど、自転車に乗ると、急に街と街の断片がつながる瞬間があって、身のすくむような思いがする。街を知っていって、その肌に自分がなじんでしまう恐ろしさとかなしさを、このごろ痛感している。
母が、柿と何かでミックスジュースを作るとおいしい、と言っていたので何だったかなと思って聞いてみると、バナナと牛乳だった。まじかよ、また適当なこと言ってんじゃないの、と思ってやってみたら、たいへんおいしかった。
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