「だって大切なことは何でも面倒なのよ。宮崎駿がそう言ってたわ」と母が言うので「それはアニメーション映画を手描きでつくるのが面倒っていう意味でしょう。私が言っている面倒さは、もっと何て言うか、抽象的なことなの」 と反論した。そのあと母は私がたべたお茶碗を見て「北国育ちの子ってお米をきれいにたべるって言うわよね」と言った。「お米の大切さを小さいときから教えられてるから」とすましているが「その話、今作ったでしょう」と聞くとすぐに「うん」と答える。こじつけと作り話の習慣は遺伝するのでやめてほしい。
四ッ谷に行って、坂道を下ったり神社にお参りしたあとで、ベルモントという食堂に行った。学生のころ、演劇サークルのミーティングでよく通った定食屋だ。昼下がりのお店には、おじいさんがひとりだけ窓際に座っていて、私も8年ぶりにテーブルに座った。おばちゃんがいなくなっていて、息子っぽい人が調理場にいた。最初にお豆腐が出てくることと、みそ汁のわかめが多すぎること、からあげの味は昔と同じだった。ここにひとりで来たのは初めてだな、と思った。
本当に久しぶりに、日中、前後不覚にねむくなった。電車の中で今にも倒れるかと思い、まあ、座っていたので倒れるのはまぬかれたものの、いったいいくつ乗り過ごしたのかわからないほど遠くの、青い電波塔のふもとまで行ってしまった。うなだれてねむっていたので首筋はすっかり凝り固まり、頭痛がひどかった。涙も出ないまま、反対側の電車に一生懸命乗って、病院をめざした。もらった処方箋は面倒なのでまだ薬局に持っていっていない。これが大切なことだなんて、今はとても思えない。
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