2013年12月20日金曜日

炬燵に微熱

MN嬢とTA嬢と、白金のビオトープで、東京という場所で育つことについて話し合った。かつて通った学び舎が近くにあり、三人でここでたびたび読書会をしていることもあるので、とても気持ちが明るくなった。これまで、場合に応じていくつものルーツを自分の中で使い分けてきたように思うのだが、最近はこう見えて、自分の軸が統合されてきた意識があり、特に生きづらさを感じなくなっている。開き直りには注意して、でも、しなやかに生きたい。MN嬢の密かな励ましを受けたので、これからも修行にいそしむ。

炬燵に縁がない人生を送ってきた。大学時代は、同級生の家に集まって炬燵で飲んだりゲームしたりする生活からは程遠いものだったし、通った男の部屋も簡素なテーブルしかない部屋ばかりで、足下は寒かった。昔、男が家にいない間にファンヒーターをつけて部屋を暖めて待っていたら、男が帰宅後に「外気温との気温差が気持ち悪い」と意味もなく怒鳴ったということがあった。今でこそ、そんな理不尽さに屈するなんてばかな女だったな、私は!と思うことができるが、それ以来、どんな人が相手でも必ず冷暖房は相手の許可を得てから(相手が不在ならメールしてでも)つける習慣が身に付いてしまった。習慣というものがいかにくだらないか、他人の家のエアコンスイッチを入れるときはいつも感じる。まあ、それと炬燵の話は関係なくて、微熱、という言葉との語呂がいいので書いてみただけだった。

紅茶を淹れて、象のかたちをしたクッキーを食べている。先週、港町のカフェで買ったのである。Nさんに紹介してもらった中学生の女の子と一緒に食べようと思って買ったのだが、彼女は私があげた象のクッキーを、可愛い、と言って喜んでくれたあとに丁寧にティッシュにつつみ「妹におみやげにします」と言って、かばんにしまったのだった。持って帰るまでに割れなかったかな、と今でも心配に思っているが、彼女くらい優しいお姉ちゃんであれば、この象のクッキーがいかに可愛いかたちをしていたかきっと妹に話して聞かせただろうし、割れたクッキーをふたりでわけて食べてくれただろう。あの日の港町のカフェはたいそう楽しい雰囲気であったし、彼女といろんなおしゃべりもしたけれど、今度彼女に再会することがあれば私が一番に思い出すのは、彼女がクッキーをかばんに入れたときの、あのしとやかな仕草だ。

昨夜、熱燗を飲みながら思いついたことなのだが、最近放置している観劇ブログのほうで、年内に「演劇とわたし」という、読んでも誰も得しない物語を書くことにした。主に19歳以降の、演劇とわたしの愛憎の歴史を書いてみる。学生演劇に苦悶していた時代から、いわゆる「小劇場演劇」の孤独な観客時代を経て、F/Tやら何やらの前衛的な演目に触れ、一人の女として成長していく様子を描こうと思う。そんなことやる前に書くべきものがありすぎるが、誰しも、書くべきものから書き始められるとは限らないものだ。

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