いらっしゃいませ、という気持ちをこめて、狂っている自覚がなくなってからが本番ですよ、と言った。いらっしゃいませ、と今書いたが、彼の方だってとっくに狂ってると私は思っていて、気が狂いそうだ、などと今も言っているのが何よりの証拠だと思ったが、その場では言わなかった。言わずに後でこうして日記に書くのである。
某氏に劇場の外で会ったとき、顔色大丈夫ですか、客席に入って来たときからやばそうでしたよ、と言われた。私はたまに、明らかにまずいと分かるほど顔が白いときがあるので、たぶんそういう日だったのだと思う。頭のほうに血が流れていなかったのだろう。だから女の子に対してばかみたいに意地悪な気持ちになるし、ささくれ立った人の気持ちを、分かりながらも邪魔したりしてしまうのだ。
引っ越すので、よく通っていた食堂のおねえさんにチョコレートを渡した。同じ東京だし、大好きな街なのでまた来るとは思いますが、と言うと、おねえさんは「あ、ちょっと待って」と言いながら、鯖を焼く火をちょっと弱め、炊飯器の下の紙袋から、洋梨とすだちを出して「これ、どうぞ」と言ってくれた。人にものをもらう(あげる)のが、こんなにもうれしいということを、すっかり忘れていた。
明るい朝が一番苦しい。夜は身体が痛い。つくづくろくでなしに生まれてしまって、何がろくでなしかと言うと、このろくでなしが治るのではないかと思いながら今日まで生きてしまったことである。でも、到底、これは治らない、ということがもうわかってしまった。いっそ海の藻屑か泡になりたい、と思って、でもきっとあの場所ならこんな気持ちも晴れてゆくんじゃないかという未練に似た希望を持って、港町のカフェまで行った。「人魚はいつのまにか海よりも、愚かな人間達のつくりだすはかないもののほうが愛しくなってしまったのかも。」 というメッセージをある人にもらって、でも、そうよね、声を失ったって陸には紙とペンがあるのだわ、と思った。港町には、象がいて、人もいて、歌があって、言葉と絵と音があった。世界が一気に美しく見えて、見ること感じることに執着を覚え始めるこの体験こそが恋だ。恋を続けなければ、私は生きられない。生きられない。
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