2013年12月29日日曜日

歳末小景

ある日の午後、寿司屋に行った。同伴者がふと「あ、Nじゃないか」と呼びかけるのでその方向を見ると、初老の男性が昼間からひとりで入って来るところだった。Nと呼ばれた紳士は、一瞬驚いた顔を見せたが「私、今日はお忍びなので」とちょっと笑って静かに目を伏せた。店主は、N氏を見て「こんにちは、田中さん」と呼ぶ。N氏は「田中です」と重ねてこちらに向かって言い、鯵の刺身をつまみに飲み始めた。その後、N氏が席を外したすきに店主が「あの方、昔から来て下さってますけど僕ほんとにどんな方か存じ上げないんですよ」「この辺でも銀座でも、あの方は田中さんで通ってます」と言う。N氏は、とある病院の教授であるのだが、田中と名乗ってあちこち飲み歩いているらしい。「そういうお客さん、たまにいらっしゃいますよ」と、店主は笑った。

来る早春に向けて、とある打合せをしたあと、某氏と高田馬場を歩きながら、一年前の冬のことを振り返ったりしていた。あの頃は私も某氏もだいぶ、心構えも立場も今とは違っていて、一年後に共にこんな企てを図ることになろうとは、想像もしていなかった。「ほんとにねえ」などとお互い言い合いながら、2013年に到来した様々な機会を思い返した。まだ何も始めていないし、やれそうなことを何となく掴んでいくしかない。でもやってみなければならない、他でもない自分たちが、と思うくらいには大きな変化のあった一年だった。

その日はすでに遅刻していたけれど、ライブハウスに行く前に百貨店に寄った。靴売り場の前を通ったときに、急に靴がほしいと思って、グレーのショートブーツを試着し、すぐに買った。それまで履いていた靴は、その百貨店で捨てた。どうしてそんな気を起こしたのかわからなかったが、ともかくその日は、新しい靴で、新しい場所に行きたかったのだ。

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