登戸を通るので、これは「のぼりとのスナフキン」を読まなければと思って、堀江敏幸の『おぱらばん』を持って出かけた。 そして"「のぼりとでおりる」という語義矛盾を実践"した(小田急線に乗り換えたので正確には降りていない)。小田急線の唐木田のほうに、うちの会社の研修施設があって、新人のときと三年目のときに、同期で泊まりに行ったことなどを思い出した。途中で通った溝ノ口でも酒に酔った記憶があるので、誰と会ったとか、あの街には誰が住んでいたとか誰の実家があったとか、こういう、土地に付随してふっと湧き出る微妙な思い出も、この年齢になると結構堆積してくるものだなあ、と思いながら歩いた。
堆積という言葉は、Kちゃんと話してから少し気になっている語彙だ。記憶や人の行き交い方が「堆積」する街と、そうなりにくい街は確かにある。どっちが暮らしやすいとか美しいという話ではなくて、ときには上澄みを漉さなければ息もできないこともあるし、澱や地層にこそ練り込まれているものもあるということだ。
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