とにかく、言わないよりは言う、書かないよりは書く、という時期なのだ。口からこぼれたそばから、うまく伝わるように出力できなかったことに後悔するとしても、相対する人のことをいつか嫌いになってしまうかも、その逆に、いつか嫌われてしまうかもという、おそれを持っているとしても。
薄々思っていたのだけど、今、私は生来の男好きの程度がはなはだしくなっていて、それはこの頃観ている演劇のためもあり、互いに増幅していく感じが非常にあって、時に持て余して踞るほどの衝動になってしまう。男好きというのはもちろん、手当たり次第というのではなく愛情の深さという意味で、いとおしい、と思う気持ちがなぜだかたくさん自覚されるのだ。女の子がやっぱり好きだな、と思うこともあるけれど、愛しがいがこの上なくあるのも絶望的にないのも私にとってはやはり男だ。ああ、通じ合えない、憎らしくさえある、でもこっちを見てほしい、忘れられなくしてあげたい、書き残したい。そう思うたび、もうこれは一生、好きでしょうがないんだ、何て業が深いんだ、と思っていろんなことを諦める。
隣の席の会話に耳を傾けながら、いつか自分が踏み出してしまうかもしれない一歩のことを思って、そのときの自分がいかに周りから残酷に見えるだろうかと考えていた。昨夜見たのは、三年後の夢だった。私は、これだけ男の人が好きなのに彼らと手をつないだままでは出来ないことについて、これまでもこれからも考えていくのだと思っていた。でも本当は、つないだ手の離し方を考えて行動し続けなければ、次には行かれないのだと気づいている。
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