2013年10月6日日曜日

手紙と煙草

大叔父のかわりに、原稿用紙に文字を起こした。(前回の日記参照
それを老人ホームまで持って行き、確認してもらっていくつか表記の修正を頼まれた。最後に、私が代筆した旨を書き加えてほしい、と言ったあとに日付も入れてね、と言われた。今は何年?と聞かれたので、平成25年、と答えた。

僕は、平成は使わない主義なの。
「え?あ、なるほど」(彼はひそかに天皇制の正当性にも疑問を持っているのだ)
万国共通の西暦をね。
「はい」

私が原稿を封筒にしまうのを見てから彼は、最近寝ながら考えてるんだけどね、と話し始めた。

アドルノが、どうしてここまで突っ込んで物を考えられたのか、意地悪な見方をすれば、アウシュビッツに入れられそうな自分と世の中の情勢と、ヒトラーがあったからだと思うんだね。ヒトラーは、日本をうらやましがってたという。「天皇が言えば皆従うから」と言ったそうなんだね。まあ、そう考えてみると日本は、大化の改新からずっとアウシュビッツみたいなものだよ。7世紀の日本の戸籍制度、あれは奴隷台帳だ。だいたい「君が代」は二拍子で、田植えのかけ声のリズムと同じでねえ…お米は世界的に見てもっともおいしい穀物だと思うけど、おいしいものには労働力が入ってるんだね。あれ、君、カルピスが冷蔵庫にあるから飲んで下さいよ。サイダーもあるから、適当に割って下さい。日本みたいなねえ、自分が偉くて他人が下等だという考えのもとには、友達という考えはほとんどない。孔子の、朋あり、遠方より来る。えー…また楽しからずや、みたいな考えが、実は日本には根付いてない。

そのとき、看護師が薬を持って入って来た。大叔父は途端に不機嫌になってみせる。吐き捨てるようにしゃべりながら、うながされて薬を飲まされる。

「どうですか、今日は」
年中痛いよ。
「前の薬はどうでした」
ありゃ失敗だ。
「お昼あんまり食べられませんでした?」
食いたくなかった。
「うーん」
…でも昨日は食ったんだよ。
「昨日はスパゲッティでしたね」

看護師が出て行ってまた二人になると、ゆっくり話を再開した。私が持ってきたスイートポテトを食べたがったので、開けて渡すと、横になったままかじり始めた。

ヒトラーが総統になってすぐに、アドルノは察知して逃げたでしょう。ああいう、迫害される頭のいい連中は、逃げるから尚更知恵が回るんだろうなあ。平和なやつは、頭働かさないもんね。

話しながら、関連する本を本棚から本を取ってほしいと頼まれるので、その都度重い古書を取って手渡した。ああ、自分の本棚もいじれなくなっちゃった、と大伯父は弱音をこぼした。そして、僕がいなくなったらみんな君のものだよ、と言った。私が先月渡した分厚い本も一応全部読んだらしかった。まあ寝ながら読んだからいい加減のそしりはまぬかれない、と言って笑っていた。帰り際に、祖母の長兄(もちろん大伯父の長兄でもある) が戦地から送った手紙が、昭和24年の「群像」に掲載されたときの原稿のコピーをもらった。何年か前に、母に見せてもらったことがあるのだが、どうしても見つからなくなってしまい、持っているかどうか尋ねていたのだ。(大切な文章なので、またの機会に引用したいと思う)

本当はね、手紙は二通あったんだ。最後の5月にね「ナチスがついに崩壊した。生きているうちにこんな日が来るとは思っていなかった。自分のやっていたことは間違っていなかったんだ」っていう、手紙が来たんだけどね。まあ兄は、そこから帰ってこなかったけれども。母はねえ、そのときから煙草を始めて結局肺癌で死んだんだな。結局自分が今同じ病気っていうのも、変だなあ。

そういう大伯父の目は赤くなっていて、彼が泣いているのを見たのは、初めてだと気づいた。私の手をいつもより長くにぎって、手が温かいですね、と言うとうれしそうにして、離れると寂しそうに手を振った。

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