2016年7月18日月曜日

ある日(クエスト)

キッチンで、一日の計画を練った。午前中、ロールケーキを食べに行ってから、14時すぎに残った食材をぜんぶ使ってオムライスをつくることに決めた。まず、アートセンターからいちばん近い鴻の湯に行って、フォトカフェに向かった。Fとはフォトカフェで落ち合うことにしていたが、ちょっと待ってもちっとも来ない。相当な長湯をしているようだった。私が、M夫人に出してもらった赤しそジュースといちごのヨーグルトロールケーキをぜんぶ食べおわったころ、Fはやっと汗をふきふき現れた。以前、この家の次女に「そんなに髪がびしょびしょなのは何でなん」と訊かれたことがあるくらい、風呂上がりのFは濡れている。ドライヤーに空きがないと髪を乾かすことができないし、湯で温まったからだで自転車を漕ぐからまた汗をかくのだ。「でもな、体育の授業だけでそんぐらい汗かく子クラスにおるで。汗で髪の毛ぺたーってなんねん」と、次女が楽しそうに笑っていたのを思い出す。M夫人に赤しそジュースのつくり方を書いてもらって、しばらくおしゃべりしてアートセンターに帰る。オムライスを食べながら、15時からの演劇クエスト体験会の成功を祈る。このキッチンにも、今回とてもお世話になった。感謝の気持ちをこめて、勝手にまな板をぜんぶ漂白した。

町を歩いていると、いつも良くしてくださる若旦那やおかみさん、学校帰りの小学生の友だちに会って、手を振ったりしてすれ違える。ある町を舞台に歩みを進めていく中で、ノンプレーヤーキャラクタに随所で出会える感じだ。今まででいちばん、ロールプレイングゲームらしさを感じながら歩いていく。ひとけのない坂道をのぼって(のぼる途中にもある若旦那から「よう!」と声をかけられた)下り、湯島から桃島エリアへと移動していく。線路沿いの墓、ガート下をくぐって田んぼの方へひとり歩いていく女は明らかに異物であるが、私はつくり手側の人間で、この道をよく知っていることもあり、ごくごくたまに畑仕事をしている翁が一瞥をくれることはあっても、声をかけられるような隙を見せてはいなかったので、幽霊のように無視された。私は幽霊になったまま、田んぼの奥の石碑を見に行った。鬱蒼としげる森のさらに奥、階段を上っていけば古い神社があるのだが、もののけの気配を感じて上ることはできなかった。幽霊であっても、妖怪は怖い。

桃島にいるうちに雨が降り出して、どんどん強くなってきた。公民館の喫煙所で、しばらく時間をつぶして、雨足が弱まったすきにトンネルにもぐり、湯島まで戻った。その後、間違えて、というか意志を持って踏切を渡らず、円山川沿いの道を歩いていったのだが、思ったよりも次の踏切がはるか遠く、しかも今日いちばんの土砂降りにやられて、涙ながらに歩くはめになった。土砂降りのいいところは、涙も雨でまぎらわしてくれるところである。どうにもならず、駅前でタクシーを拾ってアートセンターに帰り、服を絞って靴に新聞紙をつめ、干した。

夜はバーベキューパーティがおこなわれ、主催の若旦那の誕生日でもあったので、Fとアートセンターのメンバー、町の子どもたちが主導になってサプライズのケーキプレゼントを行ったりした。Fは城崎の子どもたちの輪の中で喋っているうちに、高知弁と城崎弁の混ざった言葉を話すようになっている。言葉が聞き慣れない方言になると、なじんだ人間も違って見えるから不思議だ。子どもたちは明日も学校だから、夜9時に帰っていった。ひとりひとり抱きしめたかったけど、それは大人の感傷でしかないので、子どもたちのやり方にしたがい、ハイタッチで「またね」と言って別れた。子どもたちは一年経てば一年ぶん、大きくなって姿が変わる。一年やそこらではほとんど見た目の変わらない大人から見ると、それはとても眩しい。細胞がみしみし新しくなって脱ぎ捨てられ、私やFと遊んだ記憶が塗りかわっていっても、私は子どもたちのうつくしさをいつまでも覚えていたい。そういうことのために私は、大人になったわけだから。

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