昨夜のカレーは、一晩冷蔵庫で寝かせたことによって味がなじみ、角が取れた。これでもっと量がつくれるようになればいい。
頭痛と微熱が続いていた私に、Fはロキソニンを買ってきてくれると昨夜約束した。午前中の用事から帰ってきたFが、冷蔵庫に水をしまっているのを見て「他に何も買ってこなかったの」と訊ねると、他はない、と答えるのでロキソニンのことは忘れちゃったのか、残念だな、と思って頭痛に耐えていた。お昼にFがオムライスの作り方を教えてほしいというので、玉ねぎの刻み方からチキンライスの炒め方、卵でくるむクライマックスにも果敢にチャレンジしてもらい(自主性を重んじる育成方法)なんとか、彩りはオムライスと同じものができた。本人が満足そうに食べていたので、よいだろう。洗い物ではなく、コンロ掃除を命じて、キッチンでの仕事が多様であることを教える。
そうこうしているうちに、頭痛が耐えがたいものとなり、いっさいの仕事が手に付かなくなって、アートセンターのエントランスの椅子に倒れこんだ。その時にFはやっと「あれ、ロキソニンあげたっけ?」などと呑気に言うので、もらってない、とおおげさに、嘆いた。「ごめんごめん、買ってきたの忘れてた」とごちゃごちゃのリュックを引っかき回して、Fは言った。忘れられたと思っていたので、午前中からチクチクと「頭痛い」「痛み止めがもうない」と恨みがましいそぶりを見せたにもかかわらず今まで気づかなかったなんて何という鈍感だと思ってどっと汗が出た。しかしわれわれは、二人で力をあわせて城崎の本を改訂しなければならない。
夕方、温泉寺薬師堂のお祭りに行った。城崎じゅうの旅館が、駅前のスペースに奉納した下駄を燃やす、下駄供養がおこなわれていた。城崎は、下駄と浴衣で外湯をまわる町なので、各旅館、自分の屋号を書いた下駄をつくっているのだ。若旦那衆が並んで立ち、温泉寺の住職、副住職が経をあげて、積まれた下駄に火をつけるのを見守っていた。下駄はぱちぱち燃え上がる。小雨にもかかわらず風があるので、途中、燃えすぎて若旦那が数人駆け寄り、祭壇を移動させたりもした。私は少し離れたところに立ち、燃える下駄に向かって若旦那たちがひとりずつ焼香していく姿を見ていた。
下駄供養の後ろ側では餅つきがおこなわれており、Fも生まれて初めての餅つきにチャレンジしていた。物書きは精神を肥大させる時、その身体も同じだけ酷使しなければならない。
餅つきが終わるとだんだん子どもたちが集まり始め、ミニ縁日が始まった。顔見知りの子どもたちがだんだん増えていく。今日買った、というイヤリングを見せてくれた少女が、時間をかけてあつあつのフランクフルトを食べるのをじっと見守り、ときどき口のまわりをぬぐってあげたりした。少女は姉たちと、境内を走りまわって遊んでいた。太鼓、鐘、蝉の声。みどり子を抱いた城崎育ちの女性が「ああ、夏やわあ」と目を閉じて聞き入っていた。
薬師堂には、水子供養の地蔵が多くある。少女たちは桶に水をくみ、ひしゃくで地蔵に水をかけてやっている。悲しい水子供養和讃の碑文を読むこともなく、無邪気に「わたしもやるー」と、声をかけあいながら。小さな彼女たちの目には、地蔵の足に、賽の河原で地蔵に救われる子どもたちがまとわりついているのも見えないだろう。
少女たちがひとしきり地蔵に水をかけて戻ってきたのち、さっき見せてもらったイヤリングが片方ないのに気づいた。「あれ、ないよ」と言うと、一瞬不安げな様子を見せた。「一緒に探そう」とすぐに声をかけて、境内の砂利道をゆっくり見てまわった。もうすぐ日が暮れて、そうしたら見えなくなってしまう。困ったな、ここはお寺だけど、秘密のおまじないを使うしかない。そう決めて、(一見、ここに祀られているのとは)別(に見えるけどきっとつながっているはず)の神様に取り次ぎを願い、あるお祈りを唱えた。どうかなあ、見つかるかなあ、と思いながら少女と「こっちは歩いた?」「あるいてない」「こっちは?」と地道に探しつづけ、先ほど水をかけていた水子供養地蔵のあたりまで来た。「明日明るくなってからまた探そうか」と、言いかけたとたんに「あったー!」と彼女は駆け出して、むらさきのビーズのついたイヤリングを拾いあげた。
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