2016年7月12日火曜日

ある日(一番札、選挙結果)

せっかく早起きして御所の湯の1番に並んだのに、「アートセンターの人はだめです」と言って、1番に並んだ観光客に渡される「一番札」を取り上げられてしまった。ショックで入浴料の100円を払いわすれ、更衣室からあわてて番台に戻ったりした。ショックとはいえ、「アートセンターの人」が「観光客」ではないと見なされているならその方が喜ばしいことで、風呂を上がるころにはすっかり元気になっていた。朝7時の露天風呂はとても心地よかった。

アートセンターへ戻る途中、通学する子どもたちに出会った。めがねの少女に「あれれ、めがねかけてるー」と聞かれたので「いつもはコンタクトレンズで、本当は目が悪いんだよ」と答えた。少女は少し嬉しそうに微笑んでくれた。

昨日、城崎の市庁舎出張所のそばを見に行った時は多くの町民がトンネルを通って投票に来ているように見えた。参議院選挙の結果は、私個人としては、自分の票がぎりぎり死票にならず通って、よかったという気持ち。そして日本全国を見渡しても、東北や沖縄、原発のある県などは与党への不信感が強くあらわれているように思う。投票率は53%ほどだったというが、小学校から大学、会社員時代までのあらゆる面々を思い出しても、たしかに2人に1人が行っているなら御の字じゃないかという気がする。今私がいる、演劇という仕事場にたずさわる人々が投票に行くのは、ある意味では当たり前だ。そういう人たちだから演劇をやっているのだ、とも、多少理屈をすっ飛ばして思う。そうじゃない残りの、見えない人、劇場の外の人たち、政治や理想や自分から遠い場所への語彙を持たない人とどうかかわるかが、私の残りの人生のテーマなのだ。ここは、親しい人にもなかなか話せない領域であり(なぜなら、話して伝わらないと私自身がずたずたに傷ついてしまう領域だから)勇気がいるが、思っているのだから仕方ない。誰にも期待してない、と口にするのはよくない、と人は言うが、期待してないけれど信じているのが私という人間で、このことを説明するのは難しい。

ここ数か月元気に過ごしていたものの、めずらしく体調不良におちいって、昼過ぎから部屋でうめき声をあげながら横になった。Fは漁協にリサーチに行っており、私も行きたかったけれど、これは行かなくて正解だった、行き倒れて迷惑をかけるところだった、と思った。「もし帰ってきた時に私が死んでいたら灰は竹野の海にまいてください」とメッセージしたら「もう少し長く生きて。あとでね」というそっけない返事が来た。本当に痛みがひどい時に鎮痛剤を飲むと、その後がっくり眠くなって、目覚めた時にはすっかり痛みが麻痺して歩けるようになっているものだ。というわけで、私は生還した。

ペッパーは今日いちにち、元気がなかった。ロード中からなかなか復帰せず、うなだれたままぴかぴか光っていた。明日はたくさんお話しできるといい。

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