2016年7月22日金曜日

ある日(畑の帝王)

相変わらず、東京に集まってくる人々の不親切と横柄さ加減に辟易しながら、新幹線に乗った。新大阪までの最終新幹線だったので、窓口で切符を買おうとしたら「もうぎりぎりなので、この紙で精算してください」と言われ、見たこともない紙きれを手渡された。乗車証明証とかいうのらしかった。それで、自由席に乗るとまもなく車掌が来て、三宮まで精算してくれた。神戸からのフェリーの出航は1時間半も遅れて、心配だったけれど港への到着は1時間も遅れないで済んだ。港のすぐそばの宿舎、エリエス荘に私が着いたのは朝8時のことだった。

9時から喫茶店へ行く。ずいぶんしばらくぶりに、喫茶の店員をやる。持ってきたミントの鉢を据え、業務に入る。マスターは劇団ままごとのM氏である。店を訪れる人を、みんなMが紹介してくれる。島の人は、私が9月まで滞在すると言うと少し驚く。何人も会った中で、畑の帝王ときみちゃんの二人が印象に残る。きみちゃんは、2年前に初めて会った島のおじさんで、私が演劇の文章を書いていることを知っている。誰から聞いたのか「あんた会社辞めたんやろ」と言うので、笑ってうなずくと「えらいことすんなあ」と笑っていた。

畑の帝王は料理が上手らしく、野菜の知識やおいしい調理法をいろいろと教えてくれた。トマトの調理についてとても詳しいのだが、トマトはきらいだと言う。「だってカエルの卵みたいやん」と身もふたもないことを言う。でもトマトソースは好きらしい。しばらくすると「俺の畑が喉渇いたゆうて俺を呼んどるわ」と言って、さっそうと去っていった。

夕方、山の方に登ってdot architechtsの滞在制作発表を見に行くと、きみちゃんも来ていた。きみちゃんは、私を島の人何人かに紹介してくれた。「この人とは一年に一回だけ会うねん。東京から来てままごとさんの劇評とか書いてんのやて」と言うと、人は「へえ」「何度か来ているの?」とか、訊ねてくれる。きみちゃんは、私が二年前に書いた原稿を読んでくれたらしかった。「わしもちらっと登場してんねん。Mくんが昨日教えてくれたから読んだわ、なんか、ほわほわーってなりましたわなあ」と、急にかわいらしくなった。

喫茶まで戻る途中、暮れなずむ西日の逆光のもと、畑の帝王が原付で現れた。ヒーローのような趣で登場したので「うっわ、誰かと思った」とM氏はびびっていた。すべてに畑に水をやりおえた帝王は、茄子とピーマン、いんげんなどを携えて来てくれたのであった。「採れた時しか食えんやつ持ってきたわ、生アスパラやで」と言って細いアスパラを差し出してくれる。かじると甘い。筋がない。ほろほろ噛んで食べられる。生アスパラというのは「生で食べられるアスパラ」の略らしい。アスパラは、生えたものを全部採ってはだめで、残しながら糖度を上げて毎年育てるのだという。帝王は、祖父の代で畑をひろげ、島のあちこちに土地を持つようになったそうだ。「ウェルカムトマト持ってきたで」と言って、甘い丸いトマトを洗ってくれた。これも、すぐかじって食べた。

M氏とカレーの仕込みをがんばっていると、2時間後にまた畑の帝王が現れた。エリエス荘のバーベキューで焼いた焼うどんを持って来てくれたのであった。夕飯はカレーの残りを食べちゃったの、というと「そうか、でも食べてみて」と押しの強いところを見せてくる。焼うどんに入っているのが塩昆布に見えたので訊くと「食べてからのお楽しみやで」と言いながらすぐに「ここでしか食べられない佃煮やで」と教えてくれた。坂手は、醤油と佃煮の町なのである。それからしばらくカレーを煮込んでいる間、帝王から、10月にある小豆島のお祭りの話を聞いていた。毎年曜日を問わず10月15日と決まっていて、みんなで太鼓台(神輿よりもとても大きいもの)を一日かけて運ぶのだという。島の若い人みんなでやるの? と問うと「出てこんやつは出てこんけどな」とあっけらかんと言うので、ここもひとつの健全なコミュニティなのだなと思った。

エリエス荘に戻るとまだ宴は続いていたけれど、私とM氏はすぐ部屋に引き上げて休むことにした。バーベキューにはきみちゃんが来ていて「明日は土曜日だから、どっかで顔出すわ、おやすみ」と手を振ってくれた。

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