2016年7月21日木曜日

生と業

一日に二度も、ひとから魔女と言われた。私ができるのはなくしものを見つけることと、晴れを呼ぶことだけで、他人様に魔法をかけるなんてことはできないのに、なぜか二人ともがそう言った。自分で名乗らないのに呼ばれるなら仕方ない。あきらめる。

最初に私にそれを指摘した、京都生まれの詩人のことが忘れられない。「あなたは愛が深いんじゃなくて業が深い」という彼の言葉を記憶の彼方で何度も反芻しているうちに、神楽坂の編集者や横浜の批評家、幾人もの人に次々と深みに突き落とされ、今はあきらめながら髪の一本一本までびしょびしょに濡れ、暗い淵に沈んでいる。

長年、遠くから愛してきた人に初めて手紙を書いた。焼け野原みたいな私の話は彼女に響いたらしかった。それで、恐れ多いことに返事が来たのだった。


時々、人は  のために生きているって、
    を描くために   いるとしか言いようがないなぁ、と思います。
きっと私も   もそうなんだなぁ。
     を描いているのだ、と思えば の意義が   る。
…。
業が深いですね…。


ああ、やはりここでも指摘されるか、やはり、やはり、とため息をついて、髪から滴る水が頬をつたうのを拭い、古いiPodから流れる彼女の、牡丹色の声にあわせて歌う。相変わらずそういう時は硬い床に寝て、現世でのみじめさを噛みしめている。

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