2016年7月26日火曜日

ある日(フラット)

定休日だったので、買い物に行った。マスターの運転する車で、仕入れ先を回る。醤油の製造所、オリーブオイル屋さんなど。建築家と地元が組んで、新しくできたジェラテリアにも行く。酒粕、しょうが、レモンバジルのトリプルアイスをマスターと分けて食べる。草壁港は、今や毎日、新作のジェラートやシャーベットが生まれる場所となった。

町役場に、都知事選の不在者投票を出しに行く。自分の自治体の選挙管理委員会から、投票用紙をエリエス荘に送ってもらったのだ。封筒も二重になっていて、滞在先の町役場の人の立ち会いが絶対必要な仕組みになっている。はっきり言ってめんどうだったが、社会勉強として有益だった。これからも、選挙がある期間でも他の町を訪ねて演劇をつくっている人生でありたい。
 
エリエス荘に戻って玄関から海を見ていると、畑の帝王が原付でやってきて、チシャレタスをくれた。「ドライブしてんの、池田の信号のとこで見たで」と言う。帝王はトラックに乗っていたので、一瞬すれ違っただけだったとのことだが、RPGのノンプレーヤーキャラクタに出会えたような楽しさがやはりある。そのあと帝王は喫茶のキッチンに来て、ピーマン肉詰めは縦に切らず、へたと種だけ取って(へたを切り落とし、種を手で回しながら取る)ひき肉を詰めて蒸し焼きにすると、旨味が逃げないことを教えてくれた。それでその夜は、それを実践した。

私がひき肉をこねていると、マスターは「実は俺、ひき肉が苦手なんだ」と告白してきた。今日の晩餐がハンバーグであることはやぶさかでないが、よくよく思い起こすとひき肉が苦手な人生だったと言う。肉を細かくミンチにするという状況を想像するのが嫌なのではないか、と自分で分析していた。

きみちゃんが消防団の会合の前に来てくれたり、差し入れをくれたり、1日に3回くらい顔を出してくれた。私が初めて喫茶に来た日に、観光案内所の人々が「この子女優の卵やて」「もう割れとるん?」「まだや、いま生まれるとこや」と話している横で、きみちゃんだけは「いや、女優やないねんな」と小声で言っていてくれたのを、私は聞いていた。私が小豆島へ来るようになってから4年目。今年は特に期間が長い。きみちゃんは、テーブルで私と差し向かいに座って「あんたがなあ、どうしてそんな熱狂的に島に来るのか知りたいんよ」と言った。それで、東京の演劇と瀬戸内国際芸術祭での俳優たちのパフォーマンスがどう違うか、など話したけれど、どうやらきみちゃんが訊きたいのはそういうことではないようだった。少し沈黙があって彼は「つまり、ひとつの団体にそんな密着したら、作品をフラットに見られんのちゃうか」と、ためらいながらも尋ねてくれた。非常に鋭い言葉で、このことを島の人に訊いてもらえて、びっくりしたけれど嬉しかった。

私は、地方の芸術祭にアーティストが参加すること、自治体と組んで活動する未来をすぐそばで、長い期間見てその様子を書きたくて来ている。それが、未来ある人間たちの生き残る、ひとつの(そしてかなり有力な)方法だと思っているからだ。特別な誰かひとりのことよりも、私は演劇を愛している、芸術を必要としている、でもそれは特別なひとりを大切に見ていくことと相反しない。そんなことをぽろっと言ったらきみちゃんは「なるほどね、それがあんたにとって一番フラットなやり方ちゅうことなんやな」と、しっかり、受け止めてくれた。「一番難しいことやっとるやんか」とも言ってもらって、これからどうなるか、楽しみにもなり、不安な気持ちが涌き上がってもきた。でも、自分を含むこの世界の何かを更新するため、私は夏をここで過ごすのだ。

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