2016年7月28日木曜日

ある日(朝と夜)

今日も暇で、寂しいなあとぽっかり晴れた海を見て思う。ブルーが深くて、空と海の境目に島の点在する瀬戸内は、どこまで行っても陸が見えなくなることがない。昔の会社の同僚が「海の側で育ったやつはな、みんな海の向こうには何かあると思って生まれた町を出るねん。でもな、海の向こうには海しかないこともあんねんで。海は、海やで」と言っていたのを思い出す。たしかに海は海やんな、でも瀬戸内には海の向こうにも島と人が見えるんやで、なあ、すぎちゃん、と慣れない彼の言葉を真似して呼びかける。晴れた日ほど寂しい。遥か東京に置いてきてしまった人、私から別れてきてしまった人のことを次々思い出して、中でもそのうちのひとりのことが頭から離れなかった一日だった。いったいこんなに美しい海のそばで、私は何をしているのだろう。お皿を洗ったりそうめんを茹でたりしながら、ひさしぶりに涙がこぼれそうになって、でもまだこぼれる涙があることに安心もした。

明日、別の人に喫茶のキッチンを貸すので、冷蔵庫の中身や備品を全部片付けた。私は腕の力が本当になくて重いものが運べないので、こういう作業をする時に自分の非力がつくづく情けなくなる。片付けるにしても、過去にエンジニアをしていた私は二度手間(システム開発業界では「手戻り」という)がきらいなので、マスターが手順を決めて、置き場の位置の設計を全部してくれるまでは手伝わずにふらふらしていた。一度置いたものをまた動かしなおすというのはあまりやりたくないことのひとつである。

夜のフェリーが来る1時間ほど前、旅人が喫茶の明かりをたよりに階段をのぼってきた。私とマスターは「ごめんなさい、今は片付けをしていて、ここでフェリーを待つことはできないんです」と説明した。旅人はにこやかに、ではもう少し港に近づいて船を待つと言って出ていった。申し訳ないなと思ったその時、私の頭に浮かんだのは、新約聖書のルカ福音書に記されている、イエス・キリストの誕生についての記述だった。

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」

幼稚園から高校までカトリックだった私は、この箇所をかつて何度も、幼稚園のクリスマス会、学校時代の小さな劇、時にはタブローなどの形で上演させられてきた。宿屋の主人が、身重のマリアと夫ヨセフに申し訳なさそうに、宿はいっぱいだと断るのだ。フェリーを待ちたいという旅人を申し訳なく追い出してしまった時に、ふとこの聖書の箇所とそれがリンクした。旅人はひとりで、しかも男で、ありえないんだけど、でもいつでも人を受け入れるために誰かを待つ喫茶の仕事の意味を、ふいに突きつけられた出来事だった。喫茶、すなわち劇場が人を受け入れられなくなる時が来ないように、いつでもひらかれた余白を持っておかなければと思う。

喫茶に陰干ししていたローズマリーをエリエス荘に持ち帰り、窓にぶら下げたら魔除けの草みたいになってしまって怖い。

畑の帝王が、エリエス荘の食堂でオードブルをいくつもつくって待っていてくれた。きゅうりのすりおろしとめんつゆ、ごま油を混ぜ、トマトにかけたものが絶品で、あとでカッペリーニを茹でて持って来てくれたけれどそれが大変よく合っておいしかった。コンソメ、スライスオニオン、けずりかまぼこ(山口のおみやげらしい)のスープとの食べ比べも楽しかった。いちばん私が気に入ったのは、アボカドとダイスに切ったチーズ2種類をわさびマヨネーズであえたもので、サンドイッチにして食べたくなった。

明るい声の響く食堂を出て、玄関の外に行った。夜空に白い帯のようなものがあって、なんだか白いなあ、雲にしては綺麗だなあとは思っていたが、毎日空の同じところが白いので、最近これが天の川なんだとわかった。真っ黒な海を見ていると、消波ブロックに砕ける波の音だけがする。海に近寄って覗いたが、これはもっと弱っていたら、きっと呼ばれるからいけないなと思った。私は長いスカートばかりはいているから、飛び込んだら服が水を吸って重くなるだろう。いつ死んだっていいし、いつ老婆になってもいいと思っているけれど、とりあえず海から離れて、玄関の喫煙所で腰掛けた。ここで今人が生きている、ということよりも、ここで生まれて死ぬまで生きる人がいる、ということを考えたい。もちろんそれは同じことなんだけれど「そりゃ同じでしょ」って誰かが笑うほどかんたんな「同じ」では、ない。

「ほんならまたな、もし夜光虫が海にいたら呼ぶわ」と言いながら帝王は帰っていった。そのあと呼びに来なかったところを見ると、私が夜光虫の光に会えるのはもう少し先のようだ。

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