2016年8月1日月曜日

ある日(同行二人)

朝、マスターが町中に用事があって車を出すというので、なんとなく付いていった。コンビニに寄ってもらった時に、からあげを買った。揚げものが食べたくなったのだ。

午後から、きみちゃんが、私と美大生のふたりを小豆島の山々の方へ、車で連れていってくれた。いつも東に見上げていた洞雲山に初めて登る。夏至の時期、午後3時頃(※8/1訂正)わずか数分、太陽の差し込み方によって光が観音のかたちに見える洞窟があって、その時期はお参りに多くの人が訪れるそうだ。北向き観音(北斗七星の方を向いている)というのも山頂付近にあって、それはお遍路さんが夜に方角を知るための工夫とのことだ。続いて、小豆島訪問4回目にして初めての寒霞渓。小豆島は、海抜の高低差がとても大きい。四方指は標高776メートルもあった。それでも、小豆島でいちばん高い山に登る道には、きみちゃんは行きたくないと言った。「あそこ何かおんねん。歩いてるとな、隣にすっと何かいるような、誰かついてくるような……でも絶対振返りたくないねん」と怯えているので、私もきっとこれから先行くことはないだろう。

きみちゃんが子どものころにお母さんとお弁当を持ってピクニックした展望台(当時は木で出来ていた)、遠足でお弁当を食べた斜面などの話を聞いて、たしかにお弁当をひろげたくなる場所がたくさんある山だなと思った。去年私が来た小豆島高校のまわりを車で走ってくれたり、ダムをつくる時にもめてなんとなくクリスタルな作家が反対応援演説に来た話、不幸なバス事故があった話などを訊く。

車でうとうとする。不眠は相変わらずで、もはや乗り物で少し眠るくらいしか、眠い気持ちを感じない。きみちゃんと、また夕飯を食べる約束をして、エリエス荘に送ってもらった。夕暮れ時の部屋は、熱くて濃厚な西日が吹き溜まっていて、とても長くいられる場所ではない。エントランスに降りてうろうろしていると、ソファがあるのに気づいた。ゆりちゃんが、去年ここでお昼寝していたのを思い出し、私も横になってみる。存外涼しくて、快適だった。これから、早起きしてしまったらこのソファで寝直せばいいだろうか。

きみちゃんが再び迎えに来てくれて、美大生と3人で居酒屋へ食事に行った。マスターも後から合流した。今年の芸術祭のお客さんの少なさ、根付かせること、ふたたび訪れてもらうことの難しさを、ここ二日ほど時々話す。島の人たちはいろんなことに意見を持っているし、アンテナを張っている。

マスターの車で帰ってきたわれわれはエリエス荘の食堂でちょっと酔いをさました。きみちゃんも、お茶という名の発泡酒を飲んでいくと言って座ってくれた。美大生ときみちゃんは、話が弾みはじめているようだった。「10年後15年後、俺はもう死んでるかもしれんけど、それでも島に来てくれたらええんよ」と言うきみちゃんの顔を見て、美大生はふしぎそうな顔をしている。まだ20歳なのだ。15年後の自分やきみちゃんや東京、小豆島がどうなっているか、想像するのは難しいのかもしれない。そのあと、きみちゃんが昨年生まれて初めて観た演劇の中で、どのシーンがいちばん好きだったか話してくれた。「ちーちゃんと月子さんの遊ぶシーンな。ああ、子どもってああいうとこあるある、って思っとったら芝居かい! ってなってなあ」。美大生は、きみちゃんにいろいろ質問している。急に涙ぐんだりもしている。話している中で、きみちゃんは今日は会社の棚卸しを午前中で終えて、そのあとの職場のバーベキューがあったけれど、それをパスして、私と美大生を山へ案内してくれたのだと教えてくれた。他にも真剣に話をしたが、きみちゃんが言った「都会は ”隣は何をする人ぞ” 、田舎は ”隣はこれをする人や”」という言葉の語呂があまりによかったので、すべて忘れた。いい一日だった。美大生の顔は、明日になったらきっと変わっているだろう。

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