2016年8月2日火曜日

ある日(かみなり)

早朝にエントランスに降り、自前の毛布にくるまってソファで寝直している私の横を、早起きのアーティストが毎朝6時半に通りかかる。そろそろ不審に思われている気がするのだが、ソファに行くのをやめられない。

今日の客は、仲のよい間柄であろうと思わせる人々が多かった。友だち、家族、恋人、老夫婦にしても、みんな礼儀正しくて丁寧で、おっとりしていた。おいしそうに食べてくれる人ばかりで、けっして忙しい日ではなかったけれどよかった。

ご存知のとおり、私は心が狭いので、芸術祭の展示物に配置されているスタンプを集めに来るだけの人には、あまり優しくできない。喫茶にはスタンプがない、と告げるとそういう人はみんな、すたすたと帰っていく。 そういう時私は、ドアがあいても、ありがとうございました、とは言わない。ありがたくないからである。あなたは展示作品を観ていると思っているだろうけど、あなたの芸術祭はスタンプ帳を眺めて終わっていくんですよ、それでもいいんですか、と、口に出しはしないけれどじっとり思って黙っている。マスターは徳が高いので、どんな人にもきちんとお礼を言う。なぜマスターの徳が高まっているかというと、喫茶には毎日蜘蛛が出るのだが、マスターはせっせと蜘蛛を助け、窓の外に逃がしているからである。

マスターと洗い物をしながら、都会暮らしに慣れてから島に移住する子どもは大変かもしれない、という想像をした。赤ちゃんのうちに来る方がなじめるんじゃないか、など。

畑の帝王が「花が少しバッタに食われとるけども」と言いながら赤いダリアをくれた。バッタは葉っぱではなくて、花を食べるのか、と思った。帝王は隣のスタジオで美大生の看板づくりの成果を見てくれたようだった。結局、彼が何なのかはよく知らない。運送業も大工も料理も畑もやる。そういえばこの間、観光案内所の前で「器用な男やねえ」と、島のおばさんに言われていた。「生き方が不器用なんですわ」と返答しているのを聞いて、寅さんか、と心の中で思ったのを思い出した。

閉店して外が暗くなった頃、雷鳴がとどろきはじめた。でも、坂手には雨は降らなかった。空がひろいので、ひらめく光だけがずっと見える。私は雷がきらいで、9歳の時から、雷の光が見えると音が聞こえるまで必ず数をかぞえて、雷との距離を測るようにしている。海の向こうから光が届く。10秒かぞえても、20秒かぞえても、音は聞こえない。どこで光っているのかわからない光だけが、私のもとに届き続ける。海に目線を落とすと、緑の小さい点みたいな明かりが堤防のそばをぐるぐる動いていて、踊っているみたいだった。不思議なことに明かりはいつまでも消えない。何だろう、一つ目の化け物かな? と思ってずっと見ていた。

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