いつもよりさらに早起きして、直島へ行った。土庄からの高速船では、波しぶきの飛ぶような席に座ってずっと海を見ていた。
直島では、宮浦港に到着した。まだ朝が早くて、開場していない美術展示も多かった。ガラス越しに覗いていると、腰を曲げてカートを押し、ゆっくり歩いている老婆に「まだ開いとらんでしょ」と話しかけてもらった。これから彼女は、月に1度の診療所に向かうのだという。展示場の建物の持ち主についてや、脚の丈夫な若い人がうらやましい、という話を少し聞いてから別れた。入り組んだ道に立ちいりすぎて港に戻れなくなり、坂道を降りてきた女性に訊ねた。教えてもらった角を曲がると、さっきの老婆の背中が遠くに見えた。
直島のもうひとつの港、本村の近くで、民家を美術家たちが改装した作品群を観て、山の上のミュージアムへ向かった。ミュージアムの、コンクリートに囲まれた一室で、パフォーマンスをひとつ観た。この作品を手がけたのは演劇作家のO氏で、この時期、船に乗って島にやってくる人々に向けて、語りかける内容だった。観ながら、力を抜いて、入れて、それを続けたから最後はくらくら眩暈がした。この作品をただちに、直島(あるいは瀬戸内の他の島)に住んでいる人に向けたものではない(=に見えない)から、といって批判をするのは適切ではないと思う。いつだって経験は対になっており、旅人と出会ったその土地の住人は、「裏返された」かたちで旅を経験できるのだろうから。本作については、機会をあらためて詳しく書くことにする。
ミュージアムから海へとくだる道を降りるとそこには人があふれていて、シャトルバスには乗れそうもなかったから、ふもとまで歩くことにした。後ろから西日に射たれて、 海は真っ青で寂しくて、できることなら私は誰かといっしょにこの道を歩きたかった。足下に落ちる長い影は、残暑に灼かれてくろぐろとしていた。それを見て、私はもう変わってしまったと思った。あなたは私のこと置き去りにしたつもりかもしれないけれど、本当は私があなたを追い越しているんだ、いつも。私は今こんなに自由で、ひとりで離島にいて、違う星の地平からみんなを見ているような顔をしている。だけど、あなただけが不自由とか私だけが不幸せとか、そういう話をしたいのではない。それに気づいたからと言って、何がどうなるわけでもない。
帰りは岡山県の宇野港へ一度わたり、そこから豊島の家浦港、唐櫃港を経由して、また土庄港へ戻った。小豆島に戻ると安心する。里心がついてしまったのだ。バスに50分乗ってエリエス荘に戻ると、エントランスを出たひろい場所でみんながバーベキューをしていた。さすらいの演出家が来ていて、彼のことは私も知っていたので、あいさつをかわした。頭上にはビニール紐を使って、ランタンがきわめて機能的に吊られていて感嘆した。さすらいの演出家が、ものの数分で設計し、取り付けてくれたのだという。彼はその夜、みんなのためにギターを弾いて歌もうたってくれた。『セーラー服と機関銃』を最後にうたって、歌詞を見ながら彼が「これは男の夢物語ですね、いつの日にか僕のことを思い出すだろう、なんてね」と言うので、思い出す女もいますよ、と言ったら「女の人側からそんなことを言うのは道徳的にだめです」と注意された。私は、道徳からはまあまあ外れた人間だから、それでも構わなかった。忘れられてもいい、私が覚えているから、とこれまでは思い捨ててきたのだ。だけど今日からは、相手も私を忘れていないかもしれないし、むしろ出会ってよかったと思ってくれているかもしれない、と想像してみることにする。なぜなら今日直島で、いつだって経験は対になっている、と演劇作家のO氏に背中を押してもらったからだ。
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