2016年8月3日水曜日

ある日(犬たち)

落ちている虫はいつも、たった今空から落ちてきたみたいに突然目の前に現れる。朝、花壇に水をやっていたら、くわがたが落ちていたのでびっくりした。コンクリートの下で堅い背中をひろげて、何とか飛ぼうとしている。でも、ここでは飛んでもどうにもなるまい。ちょっと迷ってシャベルを差し出して登らせ、花壇の上に乗せてやった。花壇に降り立ったくわがたは、シャベルを威嚇しようとしてはさみを振り上げている。大丈夫、君を攻撃したわけではないんだよ。でも、ここからもう一度飛べるかどうかは君次第だよ。話しかけながら、一度コンビニに行くためにその場を離れた。くわがたのことは天にまかせた。何かを日の当たる場所へ引きあげたつもりでも、それによって干からびさせてしまうことはめずらしくない。

コンビニでは、買うべきもののほかに、会計を別にしてまゆ墨を一本買った。このコンビニで売っているまゆ墨が、綺麗に描けるので好きなのだ。喫茶の花壇に戻ってきたら、くわがたはいなくなっていたので、飛んでいったのだろう。

昨夜友だちと虫と動物の話をしたからだろうか、今日は虫に縁があった。昼間、窓に何かがぶつかる音がしたので見ると、ベランダにあぶが落ちて暴れていた。このままひっくり返って起き上がれないでいると死んでしまうだろう。どうしようと思って見ているうちにあぶが動かなくなりかけた。シャベルに引っ掛けて拾いあげると、まだ生きている。ふっとシャベルを振ると、あぶは再び、飛び立っていった。ここで死ななかったのは私が助けたおかげではなくて、もともとのあぶの運命だったのだと思う。

そういえば島に来てから健康だし、いちおう早起きできているし、目立つ失敗をしていないな、と思って怖くなった。そのうち取り返しのつかないことをしてしまうんじゃないだろうか? 今のところ、小さい失敗はいくつかやっている。たとえば、鍋をあけてすぐおたまですくおうとして蒸気で手の甲をやけどしたり(しかも二回連続)、アクセルとブレーキをほんの少しだけ踏み違えてオリーブの木に突っ込みそうになったり(同乗者なし)、畑の帝王の父の杖を流木だと勝手に思い込んだり(本当は山の原木)、しそジュースを冷凍庫で凍らせようとしたけれどフリーズバッグから漏れて冷凍庫を真っ赤に染めたり(お湯で拭いた)した。私は、自分では知ってるつもりでいたけど、こうしてかき出してみると本当に、失敗のパターンが同じでがっかりする。今日も、冷蔵庫の中で豆乳のパックをひっくり返し、中身をいったん全部出してすのこを洗い、庫内を拭く作業をおこなった。でも、その掃除を終えるまでは喫茶が暇で、掃除しおえてから急に注文がたくさん入ったので、繁忙な時間帯に冷蔵庫をよごさなくてよかったと、こころざしの低い安堵をした。

夕方は、このあたりを散歩する犬にたくさん会う。閉店して、店の外に出している看板を引き上げる時に、初めて会うミニチュアダックスフントの飼い主の青年と話した。喫茶は毎日やっているんですか、などというふうに話しかけてもらったので、おやすみの曜日やメニューについて説明した。青年の祖母は、昨年、島でおこなわれた演劇を観たのだと言う。「おばあちゃん、喜んでましたよ、あんなん初めて見たーって。ほんとに喜んで話してくれた。そう、去年の夏、小高でやったやつです」。マスターも階下に降りてきて、会話に混ざった。青年は島に住んでいて、数年前に家業を継いだと言う。今年はお客さんが少ない、と言う島の人は多い。みんな同じ印象と同じ焦燥感を、持っている。

県外から島に移住する人の話になって、青年が核心に踏み込んで説明してくれようとした瞬間に、近所のT夫人がパグのフーちゃんを連れて突如現れたので、話は中断した。フーちゃんはミニチュアダックスフントに会いたくて遠くから突進してきたのだ。フーちゃんは勢いがあって、フレンドリーすぎるあまり、いろんな犬にいつも突進する。「あんた、そんなんだからお友だちできひんのよ!」とT夫人に叱られながら、フーちゃんは風のように去っていった。 

若い移住者、増えてますよ、昔からの祭りとか自治体の活動にも誘って、成功している地域も島にあります、と青年はここよりも西の方の地区をいくつか挙げた。減る一方ですからね、外の人が来てくれるのはありがたいんですよ、いろんな意見がありますけど、と言う彼に、小豆島で育った子どもたちはどんな進路や就職先を選ぶのか訊いてみた。それによると、大人になってから島に戻ってくるのは、多くが自営業か公務員であるとのことだった。ダックスフントが道ばたの草、まさに道草をかじって食いはじめたので、青年は、じゃあ今度喫茶に家族で来ますね、と言って帰っていった。

7時ごろ、犬のスイフを連れて、主人であるM氏が来た。妊婦検診に行った妻の帰りを待つあいだ、われわれと話をしにきてくれたのだ。そこへT夫人が、今度はたねちゃんというトイプードルを連れてやってきた。フーとたねは性格が違いすぎて、一緒にお散歩ができないので、T夫人は日に何度も外に出る。T夫人の快活さとバイタリティは、犬も人も等しく救う。

M氏とマスターが、ビールを飲みながら何やら話し込んでいて、ぜんぶは聞き取れなかったけれど、M氏が「芸術祭におけるアーティストは現代のマレビトで、でも受け取り方は、地域の住人が選択している」という言葉が印象に残った。マレビトをどう解釈するか、どう生かすかは、土地の人にゆだねられている、だから何か押しつけることは、みずからをマレビトと称する人側の奢りかもしれない、 取捨選択の自由が受け手にはあって、彼らに選ばれたことだけが未来につながる、とM氏は言った。それを聴いて私は、住人というのも定義がむずかしく、いつからいつまで住んでいればいいのか、何歳から住めばいいのか、仕事は何をしていればいいのか、いろいろあるだろうから、やっぱり誰が何を考えているのか、もっと会って話してみたいな、たとえ傷ついても、もっともっとそうしてみるしかないなと思った。そして、それだけやっても会えなかった人たちのことを、忘れずに生きていきたい。

私がそんなことを考えている間も、スイフは喫茶の外でおりこうに座って、時折顔をあげて主人の様子をうかがっていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿