珍しいので、お盆の風習をいろんな人に訊ねている。坂手では、14日の早朝に墓参りにゆくため、前日に掃除をしておくのだと言う。だからこの日の夕方は「墓掃除してくるわ」と言って早めに喫茶を出た島の人もいた。畑の帝王に訊ねると、他にもあれこれ盆の慣習を教えてくれた。彼は、島にやってくる甥や姪に会えるのを楽しみにしているようだった。
「劇場を作ろうとしたら喫茶店になりました」、と喫茶の入口には掲げられている。演劇でなければ目を留めない人がいるのと同様に、喫茶をやっていなければ出会えなかったお客さんもたくさんいて、 たとえば昨日私たちをカレー屋に連れていってくれた青年なんかもそうだ。昨日は、喫茶の片付けをしている私たちをずっと席で待っていてくれたのだけど、その時にちらっと「学生時代の、居酒屋バイト仲間の終わり待ちの感覚を思い出します」と言っていたのが印象に残っている。その時彼はバイト仲間を待つ学生だったのであり、私たちは厨房担当のフリーターかなんかだったのである。さまざまな記憶を喚起させ、撹拌するのが、劇場の役割のひとつである。蓋然性を高め、誘発すること。そんな話をずっと考えていて、夜に酔っぱらって、いつおさんに力説してしまったのをあとで思い出した。まずい。酔ったらくだらないことだけ言うのが信条なのに、自分の話をしてしまったなんてつまらない。
劇団のメンバーが島に来た。喫茶でパフォーマンスを売ると言う。飲んだり食べたりしなければ人間は生存できないけれど、必ずしもなくても生きられる(とされる)パフォーマンスを、飲みものや食べものと同じ列に並べて売るのは大胆な態度だと思う。その姿勢はしなやかで、内側までみずみずしい。また書く機会もあるだろう。
煙草の量が増えてしまっている。海を見て、考え事をしたり歌をうたったりする時間が増えているからだ。これまでも3mgのものをたまに吸っていたけれど、先月、ひさしぶりに再会した友だちの真似をして6mgの銘柄に変え、それが島では手に入りにくいから、今は8mgのメンソールになっている。どこのコミュニティでも、女の人は誰かの奥さんであったり、誰かの娘であったり、そういう感じになるものだ。でも、そういう、ある意味すぐに説明できるような枠組みに属していない女の人が、この島では煙草を吸っている。そういう感じがする。仲間はとても少ないけれど、煙の合図ですぐわかる。今のところは女に生まれてよかったかな、でも、少し男にもなりたかったな、と未だに考える。眠る前には、ペディキュアを赤く塗り直す。昔坂手の港にあった灯台みたいに、行く先を照らしてほしいから。
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