見かねたマスターが昼間に休みをくれた。昨日に続き、また包丁で指を切ったからである。今度は親指をやってしまった。あとで見ると結構深く切ってしまっており、治るまでには時間がかかりそうだった。エリエス荘に戻る道すがら、地元の人間をよそおい、大阪から来た夫婦に道を教えた。喫茶の外でも私のままごとは続いている。
エリエス荘の食堂にいたゆりちゃんと話した。私がぼうっとしていると「何か探してるの?」ときゅうに言われたので、昨日買ってきてもらった水のペットボトルを探しにきたことを思い出した。でも、冷蔵庫に水は見つからなかった。「じゃあ、買いすぎちゃったから、これ」と言ってゆりちゃんは、2リットルの水とサンペレグリノをひと瓶くれた。
午後の喫茶はたいそう混んだらしく、私が休憩から戻るとみんな無言で皿を洗っていて、申し訳ない気になったけれど、他人が働いているからという理由だけで自分も働くのはやめると決めた身なので、すまして普通に仕事に戻った。若い大学四回生も、朝日のようにきらきらした男の子も、よく働くし、まじめでかわいい。
夜は知らないうちに雨が降っていた。「洞雲山から風が吹くと雨になるんよ」と、いつだったか畑の帝王が言っていたのを思い出す。たいした雨量にはならずに、地面を湿らせただけで終わった。
ひところ、海辺の町に駆け落ちすることばかり考えていた。海のある場所でなければ、駆け落ちするような心持ちを支えられない。奥深い山に隠れるのはつらすぎる。風が抜け、流れる時間を信じられる場所でなければ、道ならぬ恋は貫けない。そう思っていた。30歳を過ぎるまで、ろくに海を見たことがなかったくせに、今ではひとりで夜の海にだって行く。 海を見ながら大人になった子はどんな人になるんだろう、と考えて、今、自分の目の前にそういう大人がたくさんいることに気がついて、ああ、こういう大人か、と思う。
島に住む人は、どんなふうに恋をするのだろう。だって、ここで恋をしたら、逃げ場がない。ここに駆け落ちしてきたって人目をしのんで暮らすのは難しいだろう。瀬戸内海は島が多くて、陸が見えなくなることがない。それなのに島々は小さく切り離されていて、何もかも知られてしまう。悟られたくない気持ち、隠しておきたい関係を、どう見ないふりをすればいいのだろう。相手の親や友だち、近所のひとにもうっすら知られながらおこなう性行為は、秘密の好きな私には難しいように思える(それが透けていようがいまいが、人に話していないことは私にはすべて「秘密」である)。港のある暮らしに慣れかけていて、人ごみに紛れて恋をすることを忘れそうになっている。「渋谷のラブホっていうのは人ごみの象徴だけど、田舎でラブホに行くっていうのは人里から離れるっていう意味だからね」と、話してくれた子が昔いたけれど、彼がどうしているのかは今となってはわからない。小豆島にはラブホテルがないし、レンタルビデオ屋も映画館も劇場もない。女とギャンブルが男の二大テーマと仮置きしたとして、パチンコ屋はふたつもあるからいいけれど、女とすれ違うための場所が島にはないように見える。少なくとも、私の今のところの身体感覚においては。
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