開店準備の時間になっても、マスターは来なかった。連日の喫茶営業で、疲れているのだろう。特に困ることもないし、彼の心がいつも安らかであってほしいから、電話もせずほうっておいたら1時間後くらいに現れた。
今朝は、家族にまつわるたいへん怖い夢を見て早朝から息があがったのだった。手触りの生々しい、ぞっとするシチュエーションで、何か悪い印ではないかと気を揉んでいたところ、実家の小型犬が昨夜から血便、嘔吐を繰り返しているという知らせがあった。これから急いで動物病院へ行くという。遠い島でひとり、不安な気持ちで続報を待っていた。夏場に多い大腸炎だった、今はもう回復に向かっている、という連絡が弟から来て、喫茶で胸を撫でおろした。でも、きっと小型犬は、身代わりになって家族に何か起こるのを守ったに違いなかった。弟の夢には、去年死んだ大型犬が登場していたらしい。ちょうど小型犬がぶるぶる震えて嘔吐していた時間だったようで、小型犬を守ったのは、死んだ大型犬だったんだな、と思った。
閉店して看板をしまってから、道を見下ろしていると、T夫人と画家が、トイプードルを散歩させているのが見えた。旅人がふたり、T夫人に話しかけている。きっと、このあたりに食事のできる場所はないか訊ねているのだろう。喫茶が閉店する時間には、このあたりは何もなくなってしまうから、彼らは困るだろうなと思って見ていた。次の瞬間、2階のベランダに私の姿をみとめたT夫人が「まだ開いてますかー」と叫んだので、少し考えてから、本当は閉店していたけど「いいですよー」と叫び返し、手で大きなマルの形をつくって答えた。そして旅人たちを迎え入れて、カレーを食べてもらった。T夫人と画家も、トイプードルを連れて少し遊びに来てくれたので楽しかった。
そうこうしていると、同じく行き場所のない若者5人組が階段をのぼってやってきた。次のフェリーの時間は20時を過ぎる。断ろうかと思ったけれど、この際だから入れてあげた。ごめんね、カレーがもう3人分しかないのよ、と私が言うと、若者たちはじゃんけんをしてカレーを食べる人を決めていた。争奪に敗れたふたりには、そうめんを大盛りにしてあげた。
夜はまた曇っていて、星はあまり見えなかった。でもその方が、星の綺麗だった夜のことを忘れなくていい。
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