2016年8月9日火曜日

ある日(夜間営業)

「ままごとさん、いつもお世話さまです」という声で振り向くと、カレーを食べ終えた男性が、食器をさげてくれるところだった。顔を見て、あ、と思った。先日、兄弟で訪れてくれた客のお父さんだとすぐにわかったからだった。「息子がおじゃましたようで」と言ってくれたので、こちらこそ、とお礼を述べて少し話した。昨年、島で初めて演劇を観たおばあちゃんの話をまた伺い、おばあちゃんに会ってみたい気持ちが募っている。

美大生の看板は完成し、喫茶の表や中をみごとに飾っていた。その効果が出て、客がいっきに増え、売れ行きがあきらかに変わった。美大生が描いてくれた絵のおかげでイメージが湧くようになったのか、アイスクリームを乗せた飲み物が多く売れるようになった。クリームソーダは年配者の郷愁と子どもの贅沢心を誘い、コーヒーフロートは大人たちのちょっとした憩いになっている。

つまみを作って、夜間営業の時間を待つ。フライドポテトにバジルを乾燥させてふりかけてみたり、アボカドをディップにしてチキンといっしょにホットサンドにしたりした。夕方、今日のイベントに登壇する演出家と俳優が喫茶に到着して、司会をつとめるマスターと打合せをしている。島の人々がゆるやかに集まり、予定の時間を少し過ぎて会が始まった。おっちゃんから小さな子どもまで来てくれて、お酒やつまみの売れゆきも良好だった。都市とは違う聞き手たちに文脈が伝わらないのでは、と不安になる場面もあったものの、会は、演出家と俳優の戯曲抜粋朗読で、ゆたかに締めくくられた。会が終わってからカウンターにビールを買いにきたきみちゃんが「さっきの朗読聞いてな、わし、死んだ伯父のこととか思い出して、涙出そうになったわ」と言ったのが、何よりの証である。

喫茶を閉めてからは、エリエス荘に移動して酒盛りが続いた。島の人々も、ひさしぶりの宴に嬉しそうだったのが印象的だった。東京ではこれまで出会えなかった演出家とじっくり話すことができた。最初は作品にあれこれ口出しされて困っちゃったんだけど、最近、港町の人たちが「演出家」っていう職業を認識するようになったんですよ、皆があれこれ口出しするのは変わらないんだけど、最後に「まあ決めるのは演出家さんやからね」って言ってくれるようになった、という話がいちばんおもしろかった。それから、名前だけは知っていたある島のおじさんとも直接喋った。コミュニティができるということは、仲間はずれができるということである。そして、ある人々にとって芸術は鑑賞するものや人生の糧にするものではなく、所有することに価値があるものである。だから言われたんよ、現代美術が何や、アーティストなんか歓迎するのに何で税金使うねん、あほらし、ってな。お金落としてくれる観光客のためにこっちが金使わんでどうするって言われるんやけどな、アーティストがおるから観光客がそれを観に来てくれるんやないか、なあ。わしら3年前はこうやって毎日飲んどった。でもな、そういう輪ができたら、乗り遅れる人らが必ずおるねん。アートアートってな、言い過ぎてもあかんねん。そんな話をしながらも、彼らはたとえば、3年前からずっと島を訪ねている俳優ゆりちゃんのタフさやパフォーマンスの引き出しの多さに脱帽し「あの子はすごいな、柴さんはあの子おらんとだめやな」と笑って、最大の賛辞を送るのだった。

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