2014年12月31日水曜日
答え合せ
病死した恋と事故死した恋の忘れられなさの違いについて、まだ考えることがある。今触れる人のこと以外信じられないのに、きちんと触れ合うこともできないのが悲しくて、そういう時に私は怒る。
捨ててほしい
2014年12月28日日曜日
極東の書店
2014年12月27日土曜日
水よりも濃い
眠ることが楽しくないうえに、何時に寝ても同じ時間に目が覚める。ほとんど眠った気もしない。私が眠るまで起きていてくれる人がそばにほしいけれど、私より遅く眠る男も、先に目覚める男にも縁がない。
2014年12月26日金曜日
冬の犬
幸せだった時もあったなあ、と写真を見てさめざめと泣く。できれば幸せなままいたかったし、幸せなままいさせてあげたかった。優しくされたらうれしかったし、できるだけ優しくしたかった。でもそれは全部だめだった。誰しもが大切なものを十個持っていたとして、二番目から十番目までがどんなにぴったり合っていても、一番目を大切にしあうことができなかった以上はだめなのだ。なぜできなかったかと言えば、それはそうするわけにはいかなかったからとしか言いようがなく、その場合の救いはどこにもない。
自分の話はほとんどしない。そうして生きているうちにどうやって話していいかもわからなくなったのでますます気持ちは閉じている。しゃべりたいやつが君のまわりには大勢寄ってくるからね、とM氏は言って、しかし君には踏み込めない影がありすぎるよ、と私に追い討ちをかけた。
2014年12月25日木曜日
愛の間違い
2014年12月19日金曜日
箱の底
かんたんに書けた言葉などひとつもない一年だった。かんたんに書けない方がいい、と人には言われたが、 停滞は嫌だ。求められた時に求められた言葉も出せなくてどうする。忌々しい。
しかし今も箱の底に、ひとかけらだけ希望が残っていて、その光を消さないように、見失わないように生きることにする。
2014年12月12日金曜日
高い確率
黙っているのは知られたくないからで、誰にも言えないことがわたしの人生にはこれまでたくさんあったし、これまでそうだったということは、高い確率でこれからもそうだということである。
2014年11月18日火曜日
クックロビン
2014年11月15日土曜日
首に手を
2014年11月12日水曜日
静かな人
好きだった人のことは、たいがい、もう怖くなってしまっている。
ほんと言うと、すこし考えてた、という彼に、正直びっくりしたし、それ以上に嬉しくて本当は泣きたかった。その場でそうするわけにはいかなかったので、後でこっそり思い出しては、何度か泣いた。
2014年11月6日木曜日
冬の支度
本当に昔「優しくしてほしいなら、そうしてくれるやつを探せよ」と罵られたことがあるのだが、その時から思っていることは一つだ。「私は、あなたに優しくしてほしかった」。
朝から晩まで家にこもってしまうのは、どうやら月の障り前の憂鬱であるらしかった。毎月毎月、ちゃんと来ればいいと思いながら待つのがとても嫌だ。寒くなってくるとなおさら暗い気持ちは増す。あなたは子どもが出来にくいから、妊娠したら必ず育てること、という占い師の言葉を思い出して、ああ、いつかは本当に子どもを抱いたりしたいな、と思う。
2014年11月5日水曜日
推察
集まりが解散になったあと「これからどうするの」と聞かれ、病院に行く、と言うと相手が少し黙り、その沈黙から、彼女は私が妊娠したのではないかと推察しているのだということがわかった。
2014年11月4日火曜日
2014年10月26日日曜日
あの人の孫
2014年10月24日金曜日
フィールド
2014年10月19日日曜日
スプートニクの軌道
2014年10月16日木曜日
愛すべき娘たち
2014年10月15日水曜日
かんたんな食事
買ってきたドーナツもあった。親子丼を食べたあとに食べようと思った計画を崩したくなくて、なかば無理に詰め込んだら口の中が乾燥してよくなかった。遅くに帰ってきた人の食事もつくるが、おなかがいっぱいなので味見はしたくない。無責任につくっては、出す。後片付けは、明日にする。
2014年10月12日日曜日
婚姻届
外食しながら、仕事と病院の話を少しした。話題が尽きたので、このあいだ弟に買ってあげた赤い鞄の写真を見せたりもしたが、他には何もしなかった。紅茶を飲み、パンケーキをたべて、安らかな気持ちにはなった。でも、どうしても遠い、と思う。遠いからこそ好きだとも思う。でもその「好き」は、茫漠としてどこへ続くのかわからない。このまま年金と社会保険料と住民税を払うだけの未来を生きるくらいなら、早く死んでしまいたい。そう言ったら彼は、俺は掛け捨ての医療保険にも入っている、と言った。それを聞いたら何だか私も、医療保険にすぐに入らないといけないような気がしてしまった。
婚姻届を出すためには戸籍謄本が必要で、それは本籍地から取り寄せなければならないから、出会ったばかりの二人がすぐには提出できないことをもう私は知っている。結婚に夢を見るのはばかのすることだ。ウエディングドレスを着るのは本当に素敵な体験だが、多くの花嫁は、楽しかったけどもう二度とはやりたくない、と答えるものである。
2014年10月10日金曜日
ブルーフラッグ
夜の中華料理店で食事をしながら、荒唐無稽な小説のあらすじを考えていた。リアリズムとファンタジーの境界を渡るような夜だった。次に寄ったいつものバーでは、アマレットジンジャーをつくってもらって、しずかに二杯、飲みほした。店を出ると雨が降っていて、タクシーに乗りたい気がしたけれど、次の停留所まで歩いておとなしくバスで帰った。
夢に君と、君の娘が出てきたよ、君の娘は17歳だった、と言われて、娘を産みたいとまた少し思った。
2014年10月7日火曜日
傷の救済
10年近く前、とあるアートプロジェクトへの参加を断念したことがある。当時の恋人が、東京から離れた地方でやるイベントに私が赴くことをかたくなに許さなかったためである。くだらない理由だと思われるかもしれないが、今に至るまで尾を引くほどの強烈な呪縛をかけられ、引きずられた相手だったので、あの時の私にはどうすることもできなかった。私は泣きながら参加をあきらめ、プロジェクトに誘ってくれた友だちのカナコとはその後しばらく合わせる顔がなくて絶縁状態だった。カナコはひとりでそのプロジェクトに参加して、T美大の某パフォーマンスグループFと親密な関係になった。ずいぶん後になってから、私は演劇を見てものを書くことを始め、パフォーマンスグループFの公演にも足を運ぶようになった。そして今、私は10年経って、あの時出会えなかったFのメンバーである女の子に、違う場所で出会うことができた。彼女の稽古場を見て、作品が立ち上がる過程を目の当たりにし、いかに彼女が素敵で飛び抜けていてどこまでも自由か、知ることができた。長く生きて、同じものの側に居続けるとはこういうことなのだ、と噛み締めて、泣いてアートをあきらめたことを後悔しつづけた私も、今やっと救われた思いがしている。
2014年10月3日金曜日
赤い鞄
2014年10月1日水曜日
わだかまり
2014年9月26日金曜日
隠遁生活
どこにも公開していない日記がパソコンの奥のほうにあって、ときどき読む。ほぼ性描写だけで構成されていて、何でこんなにも偏執的なものを、と思うが、私の書いた物の中ではおもしろいほうなので、何とか、それとわからないかたちで表に出せないものかと考える。
部屋から一歩も出られない日々がまたやってきていて、すっかり夜になってから、やっと近所に水を買いに行く程度しかできない。
2014年9月24日水曜日
葡萄
母は私のどうしようもないさがを薄々見抜いており、ときどき釘を刺してくる。ねえあなた、誰か一緒に暮らしたい相手がいるんじゃないでしょうね。私は答える。そんな面倒くさいこと、私がいまさら処理できるわけないじゃない。母は、それならいいけど、と言ってまたコーヒーを淹れたり紅茶を飲んだりする。親子という機能が成熟し、双方向性を獲得していくにつれて、対話の面倒さは増していくばかりだ。生きることと同じくらい生活することも大切にしてほしい、と母はそのあと私に言って、私をひどく落ち込ませた。そんなことを母に言わせてしまうような自分の暮らしがむなしかった。
2014年9月20日土曜日
飛び込み台
きちんと振り返りをおこなわないために、同じことを繰り返す人のことがときどき許せない。彼が誰のため、何のために自分の「正しさ」や「公平さ」を主張しているのかわからない時があって、そういう時は頭の中で楽しい歌をうたって聞き流す。数日前、私が急に不機嫌になってしまったのは、やっぱりとある出来事に今も許せない思いを抱いているからで、そのことが思ったより自分の意識を引きずっていることに気付いたのがショックだったからだ。そういう思いを永遠に(わからない。とりあえず今のところは半永久)私に植えつけておいて、「公平」も何もない、と思ってしまうのだがどうだろうか。
日記に個人的な出来事を書くのはできるかぎり封印したかった。でも、しかたないのだ。これはしかたない。
2014年9月18日木曜日
白い朝
2014年9月14日日曜日
複数
おやすみ
人を傷つけたことによって、自分も傷ついたという男を迎えて話を聴いた。「やっぱりぼくは人非人なのかなあ」と言うので、そうじゃないでしょ、人ではないものを大切にしてるんでしょ、と慰めた。「ぼくにだって泣きたい時はあるよ」。そうね、でも泣けないんだから泣かないで生きるより仕方ないわよね、と言って手を握ってあげてから、私はさっさと立ち去った。 慰める時に新しい傷をつけてしまうのは、さがない私の性分なのである。
2014年9月13日土曜日
二階の女
2014年9月11日木曜日
ふたりの食卓
いつか離れてしまうかも、と思う。離れたくはないのである。でも願えば願うほど、離れてしまう、とますます思う。
2014年9月10日水曜日
雨傘
終点まで行くことは決めていたので、窓の外は見なかった。手元の本に目を落としているうちにどれくらい時間が経ったのかも分からなくなり、今日本のどこにいるのか定かでなくなった。車窓の外には、大きなショッピングセンターや国道、ドライブスルーのマクドナルドが広がっていて、もう少しで自分の居場所を思い出せそうだったけれど、まあどうせ海に行くんだからいいわ、と思っていっさいを考えるのをやめた。
2014年9月9日火曜日
彼も独身
不思議なもので、毎月生理が来ると子どもが欲しいな、と思ったりする。いつかやっぱり私は子どもを産むのではないかな、と今は考えている。
2014年9月2日火曜日
Macbeth
2014年8月29日金曜日
私の子ども
母が「あなたは、子どもといる時が楽しそうだから、子どものいる人生もきっといいんじゃないかしら」と言う。別に、いつ子どもが出来てもおかしくはない。たまたま免れているだけで、本当はもっと真剣に考えなくてはいけないんだろうと思う。子どもが出来たら、全力で受け入れることと全力で責任を取ることをしなければいけないと私は思うが、男たちのほうはあまり気にしていないみたいで、何だか蔑ろにされている気もする。
まっすぐ考えたことを伝えるしかできない。感情に引きずられるな、とか、戦略的にものを見ろ、とか、いろいろ言われるけれども、このままではしばらく押し黙ることになってしまいそうである。そんなのどうだっていい、とか言われそうだけれど。言われてもいない罵倒と頭の中で繰り広げるのが得意すぎて、本当に疲弊してしまう。
2014年8月27日水曜日
悪童たち
しばらくして、リュカはどこからかクラウスの自転車を勝手に持ってきて乗りまわし始めた。自転車かっこいいね、誰の? と訊くと「今盗んできたの」などと嘯くのも可愛い。そんな悪童のリュカが、急に「あっ」と言って左目を押さえたので、びっくりした。どうしたの、と訊くと「虫が目に入った」と言う。リュカの目は大きい。おめめ開けてパチパチしなさい、と私が言うと、彼は不器用にまぶたを瞬かせた。見せてごらん、と言うとこちらに顔を近づけてくる。思わずそのつややかな眼球に見とれてしまったのだけれど、まだ生まれて8年しか経っていないのだと思えばこんなにきれいなものは他にない。
2014年8月22日金曜日
パズルゲーム
2014年8月19日火曜日
眠りの観察
彼は演劇に嫉妬しているの、それはもうすごく、と占星術師は言ったのだった。でも、嫉妬されたところでどうすることもできないし、どうするつもりもない。ただ寺に入った尼のように、これからは書くことだけを一心不乱に行おうと思う。
いちばん好きな家具はソファ。次がテレビ。本棚は別格として。
2014年8月18日月曜日
離宮
沈黙
2014年8月16日土曜日
かき氷
2014年8月8日金曜日
短めの髪
髪というのは不思議なもので、ある瞬間から急に長さが変わって見えたりするものだ。昨日までは短かったのに、今日は少し長く感じられたりする。
ああ子どものころは幸せだった、と言って顔をおおったら、それを聞いていた人が「僕は今のほうが幸せだなあ」と言ったので、え、どっちがいいかなあ、と束の間私も考えた。
2014年7月31日木曜日
夢の傷
その前の日は空を飛べるようになる夢という、いかにも読み解きが簡単で浅薄なものを見た。今自分のまわりに巻き起こっている渦のことをよく理解できていないためか、夢の世界が今はいちばんドラマティックに思える。
2014年7月28日月曜日
七月になってから
2014年7月24日木曜日
文月小景
二度続けて、嘔吐の夢を見た。子どものころの弟が、きもちわるいとぐずって吐いたのだった。弟のわがままな甘え方は私の気を大変に引き、私はあわてて小さな彼の背中をさすった。弟が子どものころの夢はたまに見る。そのたびに、いつか可愛い男の子を生みたいなと思ったりする。二度目の夢は昼寝の時だった。吐いたのは私自身だったような気がするが、弟のことに比べて記憶するに値せず、ただ嘔吐の夢だったことしか覚えていない。
2014年7月21日月曜日
マニュアル・トランスミッション
自転車に乗って家を出た。息も絶え絶えに渋谷にたどりつき、宝くじを10枚買ってすぐに帰り道についた。町中は乳母車や歩行者にあふれていて、何度もぶつかりそうになった。一度は避けきれずに転んだ。ブレーキが下手なのだ。急に強くかけるからスリップしてしまう。ゆっくりゆっくりスピードを落としながら、信号が変わるのをどうして待てないのだろう。
2014年7月18日金曜日
頭上の枷
鏡をのぞくと瞳が暗い。目に見えない枷の存在を感じる。身ひとつで荒野に立ってからが魔法使いの勝負とは言うけれど、今はあきらめが先に立ってしまって何も出来ない。そんな私を見て「君は顔つきが変わったね」と言う人もいるし、母は「なんだか顔が細くなったわね」と言う。選び取るための自由が、今は何より欲しい。閉じ込められて遠慮して、このままでは本当に萎びて死んでしまう。
2014年7月9日水曜日
喉に手を
自分が聴いている自分の声と、他人が聴いている自分の声が違うことに気づいたのは6歳のころで、それはわりに遅いのではないかと思う。幼稚園の卒園記念にみんなで吹き込んだカセットテープで、自分の声が変なのに気づいて戦き、もう絶対に再生しないでくれと母親に頼んだ。それからもしばらく(20年以上も)私は自分の声が大嫌いで、というよりは、喋り方が嫌いだったのだが、とにかく自分の声を聴くのはなるべく避けてきた。このごろになって自分の話し声を文字起こしする機会も増えたが、それと同時に、自分の声を嫌う自意識が消滅しつつある。以前よりゆっくり話せるようになって、抑揚も穏やかになったせいだろう。感情的になるのはごく限られた場合だが、そういう時は今も相手を不快にさせてしまうから、たいてい後悔するのだけれど。
2014年7月5日土曜日
愚鈍な女
書きたいことはいくつかあったはずなのに、記憶が長い時間もたないようで今ここに書くことができない。こうして死んでいったらどうしよう、という気持ちには四か月に一回くらい、なる。
百貨店のエレベータの前で、爺が店員を怒鳴りつけていた。「もう最近の百貨店は何もなくてだめだよ」と言い続けて、店員と私を萎えさせた。そのあと、爺と同じエレベータになってしまったのが最悪で、東南アジア系の乗客が「閉」と「開」を間違えて二度も押してしまったのに爺が腹をたて、大声で怒鳴り散らしたのだった。しかも、爺は私のほうを向いて怒鳴ったのだ。びっくりして何も言えずにいたが、今思えば蹴り出してぶっ飛ばしてやればよかった。でも本当は、百貨店の中で大乱闘になってもいいから私をかばって守ってくれる人があの時そばにいたらよかったのに、と思わずにはいられない。
2014年7月2日水曜日
2014年6月29日日曜日
行き止まり
かなり、瀬戸際に立たされているのだと思う。そういう時には、他人のことはどうでもいい。かかずらっている暇はない。「逃げる場所」のことを思い出したりもするけど、今この瞬間は何の役にも立たないし、相手を許すこともできない。
2014年6月27日金曜日
逃げる場所
同じ文脈で、何か感情の「抜ける道」をつくるといいのではないかとも提案されたが、そう思うと私には「逃げ場」がない。 趣味はひとりで出来ることばかりだし、特に他人とおしゃべりしたい欲求もない。素の自分が表にあらわれるのは男の人と寝る時だけだと思うけれども、人に笑って話せるようなセックスはしたことがないし、それは私のひとつの幸福なので改める気もない。
先週は眩暈がひどかった。診察室で女は「それは薬の離脱症状です」と言った。低気圧のせいだけでは説明のつかない不調だったので、彼女がそう言ってくれてよかった。
2014年6月23日月曜日
可愛いマリン
2014年6月21日土曜日
リトル・フリーク
2014年6月20日金曜日
寝かしつけ
2014年6月18日水曜日
座礁
2014年6月17日火曜日
血の巡り
書き直し
書いたものが全体的にネガティブである、と言われて、はっとした。いかに自分が悲観的に生きて、物事を眺めているか思い知って落ち込んだ。私がときどき表に出す思いきりの良さや潔さに見えるものはただの自棄で、本当は前を向く方法も思いつかないほどに、深く絶望しているのかもしれなかった。
2014年6月13日金曜日
アイスクリーム
さっきまで、なぜか泣けて泣けて困ってよほど電話でもかけようかと思ったが、頭の中で会話を一通り自分でおこなって、電話を切るところまで終わったので、やめた。ベッドを抜け出してきた今は、なぜさっきあんなに困り果てていたのかを、少し遠くから見ることができる。
カップアイスは好きなのだが、一度にたくさん食べられないので、食べ終わるまでにだいたい四日ほどかかる。今は三日目だが、今回はあと二日ほどかかりそうだ。溶けかけたところを二さじ三さじすくって食べ、それでいつも冷凍庫にしまう。
2014年6月11日水曜日
Red Hat Linux
赤い帽子のマークは、昔扱っていたオペレーティングシステムについていた印だったので、不思議な符号に胸がきゅっとした。この夏は日傘のかわりに帽子をたくさんかぶるのもいいな、と思う。
その時、あまりにもうれしくて、食べものを口に入れたまま涙が出そうになって、もっと言うとその場から燃え尽きそうになってしまって、息をする様子もおかしく見えたかもしれない。
川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』が私は好きで好きで、それは私がニシノユキヒコ的なる男を好きで好きで仕方ないことと近い話である。でも、そういう男を愛することと、ニシノユキヒコ的なる人生を生きることの、どちらがくるしいのだろう、と思ったら今夜は涙が止まらない。
2014年6月9日月曜日
雪の女王
2014年6月8日日曜日
絞り染め
年を取ることの良さを、最近しみじ思う。許せることが増えるし、許せないことはその理由が明確になる。でも年を取るのは、ほんの少しつらくもある。若い人にだけ生えている翼が、見えるようになってしまうから。
私が泣いたのは、私の一生懸命さがまったく蔑ろにされたように思ったからだった、と推測される。一生懸命、私は書いたし訊ねたし向き合おうと思ったが、それは私の甘さによってかわされた。自分の思いが尊重されなかった、と思ったのが悲しかったのだ。報われなかったと思って恨んだのとは全然違うので注意してほしいが、果たしてどちらが疎ましい行いかはもっと客観的に見てみなければ分からない。でも、あれだけ考えて行動に移した結果をかわされたのであれば、もうその人は一生そうやって生きていくのだろうし、もしそうだとしたら私の感知出来る範囲ではない。それくらい、強く思わなければこの場に立っては居られない。
2014年6月7日土曜日
死んだら気づく
MN嬢が猫を飼ったので、会いに行った。ベッドの上には小さくて可愛い少女猫が、二匹鎮座していたが、私が行くと戸棚の上にするりとのぼってしまった。花の香りのする紅茶を淹れてもらって、文芸の話をした。「普通の言葉しか使ってないのに、この人が書く文章は特別」っていう人が好き、と強く宣言した。猫は時折、戸棚の上から私たち二人の様子を覗いていた。
アクセル
ドイツの演劇祭のために、20日ものあいだ現地に滞在している人のTwitterなどを読む。演劇が守ってくれている、という言葉がずっしりと来る。私も、守られたい、と思ったが、守られたいと思っている時にはすでに守られているのかもしれないし、もうずっとその加護の下で生きてきたのかもしれない。そしてそれが、私の奥底の強さの秘密であるのかもしれない。私はと言えば、毎日細かい作業と少しの文章を推敲し、時間が来たら食事をつくってたべ、という生活ではあるが、先日「違和感」と「宿命」という言葉を使って、「日常」と「演劇」についてのとある発見をした。直接還元できるかはわからないが、私がその「考え」を持って行動することで、相手にもいい作用が起こるだろう。
ドリフトを決める時にはブレーキングが命、という言葉は普段から肝に銘じているもののひとつだ。忘れるべきではない。
2014年6月4日水曜日
夢うつつ
2014年6月3日火曜日
プライベート・スカイラインⅤ
2014年6月1日日曜日
はびこる悪
今自分が撃破しなければならないものは、これまでと少し次元の違うものになる。舞台上のものを観て「よかったですね」と言うだけではすまない事であり、舞台上に描かれている(あるいはまだ描かれてすらいない)光景が現実として私の前に(生活として)立ちはだかっている以上、私は演劇よりも現実と戦わなければならないし、多くの人はここで現実と妥協して暮らす道を選ぶ事も、この年齢になれば知っている。あえて今強い言葉をいろいろ使ってはいるけれど、それは言葉の力を借りないと立っていられないほど、寂しくて苦しいからである。
2014年5月30日金曜日
薄いガーゼ
そう思っていたら、またしても目の回るような事態に遭遇した。やっぱりここで生きて行くのは難しい。涙は涸れたので今は流れない。
2014年5月28日水曜日
靴をなくす
明け方、一度目が覚めると気が散ってもうベッドでは眠れないので、枕を引きずってソファまで行く。ソファは硬いが、薬が残っているので起きて活動する事もままならず、仕方ないので少し目を閉じる。
2014年5月26日月曜日
最初の子ども
君はソラリス
久しぶりに飲もうと誘われたので、太陽くんと銀座に行った。太陽くんは私の職場の同期である。本が好きで、特に森博嗣と舞城王太郎が好きである事を私は知っている。私も太陽くんも、職場に他に友だちはあまりいない(たぶん)。
二人で飲み屋に行ってビールを飲んだ。最近の話をぽつぽつとして、沈黙の時間の方が時には長くなって、でもそれがいやだとは全く思わない。太陽くんはそういう友だちである。「普通の人は戻っておいでって言うだろうけど、僕は、戻りたくない場所には戻らなくていいよって言うよ」と言ってくれた。
彼は、積み重ねて何かが進歩していく事を非常に好む。今は毎日22時から23時、きっかり1時間、オンラインで英会話を勉強しているそうだ。合間にプールにも行く。上達のステップを組み立てて、ゴルフの練習もする。「出来ることなら陽には当たりたくない。窓辺に陽が射しているのを見るのは好きだけれど」と彼は言う。「名前のわりに暗い性格です」というのは、彼の自己紹介の時に用いられる印象的なフレーズだ。「どこか遠出をする事はあるの?」と訊いてみた。「どういう意味?」と訊き返されたので、「決まった行動範囲を逸脱することがあるかっていう事」と補足した。すると、普段は職場と家の往復で、休みの日も昼間はあまり家を出ない、という答えが返ってきた。私はちょっと考えて「じゃあ、7月に京急線に乗りにおいでよ」と誘ってみた。太陽くんはすぐに「行く」と言ってくれたので、夏の楽しみがまた一つ増えた。近いうちに今度は彼の出身大学がある街へ行こうという約束をして、今日は彼と別れた。
2014年5月25日日曜日
くちなし
そういう事はいちばん大事な人に言いなさいよ、と少し怒って、背中を押した。それでたぶん、勇気といくらかの理由づけを手にしたはずなので、彼は新しい一歩を踏み出すだろう。
文房具屋が好きで好きで、前を通るたびに入ってしまう。そして必ず何かを買って、散財する。昔から好きなのは便箋で、おそろいの封筒と一緒にたくさん買い集めている。手紙は好きだが、好きな男に宛てて書くのが好きなだけなので、便箋自体はあまり減らない(そういう場合、すぐに減るのもどうかと思うし) 。というわけで、お気に入りの便箋がいつまでも手元にあるので嬉しい。
2014年5月22日木曜日
立てば芍薬
芍薬の花束を買った。芍薬はよく水を吸う。二回ほど水を足してやって、今日、ぜんぶのつぼみが開いた。大輪の花々を戴いて、花瓶は今にもバランスをくずしそうだ。
2014年5月21日水曜日
夜の旅
今日の昼間は、まぶたを何度も閉じたりひらいたりしながら、窓枠に手をついて、曇った空からさす光とその下に広がる風景を眺めた。そうでない時間は、その風景の事を思い出したりして過ごした。時計を見て、時間の流れがいつもより遅いような気がして驚いたけれど、ひとりで電車に乗ったら途端に時計は急ぎ始めて、普段と同じ速さになってしまったので悲しかった。
2014年5月19日月曜日
17 for good
普段はあまり思わないが、一週間早いな、と思った。日記に書くような事はあまり起きなかった。人にもそんなに会わなかったし、家でも喋る事はないし、何より薬が効きすぎたので眠りすぎた。
2014年5月14日水曜日
気配
逃げるようにソファで眠ってしまい、明け方までそのままだった。目が覚めて、下着が苦しいので外し、しばらく横になっていたが起き上がって水を飲んだ。シャワーを浴びてからベッドに入り、そのまま昼までねむって、少しパンをたべてから夕方までまたねむった。苦しい夢を見てじっとり汗をかき、何度も目が覚めたけれど起きられなかった。階下では水道工事の音が響いており、隣人が奇声を上げて騒音に抗議していた。このマンションの住人は、どいつもこいつもおかしくて怖気がする。
重いリュックを背負っている時に風にあおられ、環状道路に落っこちそうになった。本当に危なかったのだが、もしここで死んだら、悔やまれて泣いてもらえるどころか何で死んだのかと叱られてしまうだろうから、死ななくてよかったな、と思った。
2014年5月12日月曜日
水流
2014年5月10日土曜日
Re:どうでもいい
あの夜は何となく楽しくて、ごはんをたべながら何杯か酒を飲んだ。そこでふと聞かれた質問に対し、どうでもいい事を説明するのに時間をかけてしまって息が詰まった。その瞬間、彼は言った。「まあ、どうでもいいんだけど」。その事に、存外私は傷ついた。傷つくのに、資格なんていらない。
面倒なのと、リビングに行くのが嫌だったので台所に立ったまま、茹で上がったマカロニちゃんをたべた。洗い物もすぐできるし、合理的で素晴らしい。母が見たら、お行儀が悪いからあっちに行ってたべなさいと言うだろう。でも、案外今の彼女だったら、何もかもどうでもいいから私もここでたべるわ、と言うかもしれない。立ち食い蕎麦、立ち飲み屋。共通しているのはすぐにずらかれるという事で、ここには長居しない、という意思表明をその場に入ってきた時からみんな行うことになる。
彼が「どうでもいい」と言い捨てた私の一部は、私にとってもどうでもいい。けれど簡単に処理はできない。それも含めてどうでもいいのだろうけど、つまらない何かをしゃべるのに口を使うくらいなら、私は他のことに使いたい。
マカロニちゃんは単純な味をしている。でもジャンクじゃない。パスタソースも使ってないから、油も少なくてヘルシー。余分なものだらけの人生を振り返る時には、マカロニちゃんにいてほしい。義務、思い込み、同調圧力。がんじがらめの私が自由に行き来できるのは現在と過去の間だけ。 未来なんてどうでもいい。どうでもよくないからそう強がるのだと人は言う。本当だろうか。なんて、冗談だよね、可愛い私のマカロニちゃん。 立ったままたべ終わったら、すぐ片付けて出ていかなくちゃ。
オムライスの上演のために
私にはまだやっぱりいろいろ許せない事があって、その人が好きだから許せないとか、普通に毛嫌いしているから許せない人もいるし、よく分からないから許せないという事もある。でも、これが許せるようになったらどれだけ新しい世界が広がるのだろう、と思うし、それを楽しみにしたい。きっと、新しい自由を手に入れる事になると思う。
帰り道、女の子4人で歩きながら、その夜につくってたべたおいしい食事を振り返っていた。ごはんの用意してる時、男の子はみんな写真撮ってたね。それがおもしろかったね、とある女の子は言った。私は、自分でつくった料理は撮らない。誰かが綺麗に盛りつけてしずしずと運んできてくれたものをこっそり自分のカメラに収めるのがうれしいからである。また一緒にごはんたべましょう、と言ってその日はみんなと別れた。誰かがおなかをすかせて待っていて、おいしそう、これたべていい? と言ってくれる限り、私はがんばれる。
透ける時間
ベッドの中で枕が毛布にくるまっていて、そう言えば今日はほとんど午後まで横になっていたのだと思い出した。あの状況からよく、起き上がって電車に乗ったものだ。信じがたい。
ちょっとした歯車の問題で悩むのはよくある。あれがよくなかったか、それともこれか、と思う時は、たいてい最初に思いついたあれが悪い。そういう勘は外さない。でも、その時はそれを防ぐための、小さな注意を払えないのが、私なのだ。重くのしかかって泣けもしないが、こんなに落ち込むのもおかしい。体調が優れないせいにしたい。
私が、何か物事の中心になるのは無理かもしれないな、と今夜思った。人に協力してもらう側から、うまくいかないことに自己嫌悪してしまいそうだ。もしくは、後から後から、嘆いてしまいそうである。でも「自己嫌悪がどこかにない物書きは絶対だめ」と先日TA嬢が力強く言っていたから、それはもう逆に、喜ばしいと思い込んで精進する。もしくは、こんな弱気も何かの発作と思うしかない。
過ごした時間は空気になって身体ににじむという、当たり前のことを感じている。私の肌に透ける時間はあなただけじゃなく、他の人にも見えるのだろう。
2014年5月8日木曜日
2014年5月7日水曜日
くだらない
決断を迫ってはだめよ、と数日前私はある人にアドバイスしたばかりだった。「いつでも連絡してこい」というのではなく「今日会える?」と訊かれた方が返事をしやすい。かといって「俺かあいつかどちらかを取れ」と迫るのではなく「どんな事があっても側にいる」と伝える。いささか綺麗事すぎるかな、とも思ったけれど、恋愛相談は持ち込んできた人が元気になればいいのであって、何が起きるかなんてそこから先は誰にもわからない。本当に、わからない。
MN嬢、TA嬢との読書会にて、谷崎潤一郎の『痴人の愛』をテーマに話した。この物語そのものが、男の壮大なるプレイなのかどうか、というところに議論はたどり着いた。自己の輪郭を語りに溶かしながら、男は何を思っていたのだろうか。「何がしたいかわからない」という言葉は、この小説の男と女にも当てはまる。しかし私に言わせれば「何がしたいかわからない」人々は、「したい事」はなくても「したくない事」はあるのだ。小説の男は、女に逃げられたくなかったという一点に尽きる。私はたぶん、誰にも嫌な思いをさせたくないのだと思うが、そういう気持ちが誰かに嫌な思いをさせる事は、10年前から知っているのでもうどうにもならない。
2014年5月6日火曜日
無駄な情
世の中には無駄な情が多すぎる、という言葉について、こんこんと湧く泉を胸の中に持っている人ほど自分の情の深さに嫌気がさしたりするものなので、私は大して感銘を受けなかった。
2014年5月4日日曜日
ゆりかごと墓場
あのへんに長く住もうという人はもういないでしょう。最近は地震も少ないし、ここは内陸だから、海沿いの辺りとも違って安心だ。家と墓を買うには打ってつけですよ、と老人は言った。私は、え、でもそんなこと言ったって、と思いながらどうする事もできずにいたけれど、しばらくしてから老人は、今日は楽しかったですね、今度は海沿いに魚を食べにいきましょう、と私を誘ったので、思わず耳を疑った。
2014年5月3日土曜日
手負いの獣
深追いという言葉が好き、と言った私に彼女はその時「でも深追いって、その言葉を使う時にはもうすでにしてしまってる事が多いよね」と言った。同様の言葉に「抜け駆け」があるな、という事には昨日気づいた。
2014年5月2日金曜日
別室にて
毎夜毎夜、人を残して床を出る。眠くなるまで眠らないと決める事にも勇気が要る。冷蔵庫をあけて作業をし、翌朝に備える。端から見たらかなり改善はした。しかし真夜中になると、失望と疲労が募る。まだ2:48だ。日の出までは遠い。
2014年4月30日水曜日
ハーブティーの記憶
2014年4月29日火曜日
後から思えば
30年目の抽出
生まれて初めてコーヒーを豆から挽いた、という私に対し、男は監視を怠った。蒸らしながら煎れるという概念がなかった私の作業(実際今こうして書いている間も「コーヒーを蒸らす」が何なのか分かっていない)が失敗に終わってしまってからそれを見つけ、100秒ほども文句を言ったので、私は心が折れた。自分で飲んでみなさい、まずいでしょ、と言われて飲んだが私にはコーヒーはどれも同じ味なので大して響かなかった。それを言ったら彼は、大胆なところと繊細にすべきところをわかってないという事だ、と今度は人生観にもまつわる大いなる問題提起をおこない、私をさらに逆撫でした。
肝心な時に繊細さを欠き、不要な冒険心を発揮してしまう事ぐらい自分がいちばん分かっているし、他の人は煎れたコーヒーに文句を言われたぐらいでこんなに打ちひしがれないし、こんな日記に書き付けたりもしない。自分の分の紅茶を飲みながら少し泣いたが、初めは悲しかったから泣いていたのが、だんだん、でもこうやって文句言われながら応戦するのはそれだけで建設的だな、と思って、もっと泣きそうになったので考えないようにした。
3秒後、男は少し不満そうにマグカップを口につけながらも、いつものようにへらっとしていた。もう腹も立たないが、私はと言えば3年先まで今日のこの事を忘れないし、そういう自分と付き合う覚悟も出来ている。ただし3年後は、今より上手にコーヒーを煎れているのは間違いない。
2014年4月28日月曜日
何ひとつ
その時、皮肉に似た言葉をいくつか軽く言えそうだったが、相手があまりに意気消沈しているのでやめた。供養を疎かにしているからこういう時に大ダメージをくらうはめになるのである。でも、思った言葉を口にするのはともかくやめた。今はその時でなかったからだった。眠れぬ夜、数えられるために走り出していく羊の身体を優しく撫でて、眠らせてあげたいと思うのも私なのである。
話し合った後、男はコーヒーカップをテーブルに置いてずっと黙っていた。どうしたの、と訊くと「何ひとつ変えるつもりがないんだという事がわかったからもういい」と言われた。彼の言うとおり、私は自分の何も変えないまま強情に生きているのだろうか。それとも、変わったから彼の基準に適応できなくなったのだろうか。筋を通そうとするからうまくいかないのか、筋を曲げたから軋みが生じているのか、という事と似た話で、わかりあう事はなさそうだ、という事だけがわかった。
2014年4月24日木曜日
逃避行
今君が死んだ夢を見た、とても悲しかった、と言われて、私のかわりに死んだ何かを、私はありがたいと思った。その日私が見た夢は、部屋を二匹の猫に占拠される夢で、他にも恐れる人やものが多く出てきたし、夏物の服の試着もうまくいかず、待ち合わせにも失敗した。起きてから部屋の隅に意味もなく座っていたら、小さな蜘蛛の巣を発見して恐ろしかった。
それが逃避である事は自覚しておきたまえ、と男は言った。「たまえ」などとは言わなかったが、言ってもおかしくないような場面だったので、今はそのように記す。だがしかし、逃避するだけあって、その対象を直視するのがなかなか難しい。でも、逃げた先で書く言葉がきちんと私の歴史を積み上げてくれるならそれもいい。
駆け落ちするなら海辺の街と相場は決まっていて、それは彼らの持つ事情より深く、荒々しいものが海以外にないからである。山の中は鬱屈しすぎており、門前町や城下町は人の気配が濃くて生きられない。
2014年4月22日火曜日
よろめき
昨夜薬酔いして送ったメールを読み返す事ができないが、まあ、これまでの失敗よりはましかな、と思って忘れる事にする。今は、一生懸命後悔しないようにしながら、昨日たくさんつくったドーナツをたべて気を紛らわしている。睡眠導入剤はどれも一長一短で困る。困る。
例えば、夫と子どものどちらをいちばんに愛したらいいだろうか、と考えていたら横になっているのもつらくなったので起きることにした。いちばん愛してもいない男の子どもを産みたいとは、どうしても思えない。でも、子どもは私にいちばんの愛を求めるだろうからそれを叶えてあげたい。こんな、まだ起きてもいない、不定数だらけのことを思い悩むなんて、心底疲弊している証拠だ。
次の読書会の課題は『痴人の愛』なのだが、苦しくてどうも読み進めることができない。私の好きな男たちが、ナオミみたいな若い女に誘惑されるところを思うと居ても立ってもいられない。これは嫉妬なのだろうか。誰に、何に対する嫉妬だろうかと考えると、自分が失った若さや可能性、奔放さへの忸怩たる思いが根底に渦巻いているのであった。女同士、憎みあうべきでないと人は言う。それはわかる。他の女にいちいち苛立ちを向けているほど暇ではないが、私は、女でのある私自身への苛立ちをときどき持て余す。多くの場合、それが女同士の敵対関係の正体で、それもわからずに闇雲に生きるよりは、苦しくてもこっちのほうがましだな、ふたつを混同してはならないな、と決意を改める。
2014年4月21日月曜日
ロードノイズ
2014年4月18日金曜日
長い指
11月にアメリカに出かけないかと訊かれたので、行きます、と即答した。演劇のシーズンではあるが、自分にとって大事なルーツがありそうな旅なので、そう答えたのである。出かける先はアメリカであるが、須賀敦子の本を読んだりして心を落ち着けようと思う。
これまで似ているのではないかと思っていたが、深く眠っているのは死んでいる状態とは違う、ということを手を握られて実感した。夢を見ている人は時折指を動かす。私は眠れないまま両手でそれを包んで、ああ、いつになったら私もこんなに深い眠りを味わうことができるだろうと思った。うらやましいことはいつも愛おしい。
2014年4月15日火曜日
Blues
2014年4月13日日曜日
年上の私の恋人
2014年4月11日金曜日
攻防
わかってもらいたいのだなあ、人は。でも、わかってもらえる人がいるだけいいじゃない、と自分の中から声もするのだろう。それは、わかってもらえるようにしたからそうなっているだけなのだ、と更に思うかもしれない。そこを突きつめたくなってしまおうものなら、誰も得をしないループに落ちて終わる。得、というのは何か新しい気持ちや視点を得ることだ。どこかで、愛する、ということに決めなければならないのかもしれない。恋愛は妥協であり、がまんではない。だから妥協をすることについて、私はそこまで否定的ではないが、何かをがまんしているようなことは良くないし、まあ恋愛をしているわけではないのだから時にはがまんも必要かもしれないけれど、冷徹な観察眼の、発揮のしどころ、というのは難しいものなのだ。ただのいじわるな人になるわけにはいかない。誰かのためになりたい、という気持ち(それは辛辣さをも十分に含む)を持っていなければ発揮してはならない能力なのかもしれないし、自分のためにその力を使ってしまうことは、どんなに苦しかろう、と勝手ながら想像する。でも、人としての隙、っていうのはつまり、おもしろみ、のことだから、なるべく背後を取られて追いつめられるべきじゃないし、あなたも、壁際にじりじり追い込んで、いたぶるのを楽しんでいる場合ではない。
上記のような日記を、昨夜の3:22に書いていた。書いた覚えはあるが、あまり美しいものではないので午前中からいったん公開をやめてみた。何を思って書いたのか、誰を思い浮かべながら書いたのか、あまりにも混ざっていてよくわからない。何より、咳き込んで起きて、朦朧とした意識で日記を書いたことが少し後ろめたかった。防御を高めることで攻撃力を上げている、ということは、私のような、生卵の精神の持ち主には憧れる。すなわち、縦からの力には非常に強いが、横からたたくと簡単に割れる。
2014年4月8日火曜日
黒い猫のしるし
もう取り壊してしまった祖母の家の台所に居た。祖母が出てくる夢を見るときは、この台所であることが多い気がする。祖母は後ろを向いて流し台の中に猿のようにしゃがみ、たわしでそうじをしていた。昔よくしていた、三角巾を頭にまいたスタイルだった。その近くには黒猫が二匹いて、布を身体に無理やり巻いて貼付けられたままぎゃーぎゃー暴れていた。その布に絡まっている様子が痛々しいので、どうしてこんなことになっていて、暴れる猫を放置しているのか祖母に聞いたところ、うるさいのでホチキスで猫の皮膚を留めてやったのだ、という答えが返ってきた。(念のためだが、祖母は私が知るかぎりもっとも心優しく生き抜いた女性で、そんなことをするのはありえない)彼女は相変わらず後ろ向きのまま流し台の中にいて、顔を一度も見せてくれず、それはもう祖母ではない、というのが私にはわかった。暴れる猫たちをなだめ、布を取ってやろうと身体を見ると、ホチキスではなく大量の安全ピンで留められているのだった。暴れてめちゃくちゃに騒いでいる猫二匹に「取ってあげるからじっとして」と言うと、少しだけおとなしくなったので、そのあいだに私は彼らの身体から安全ピンをひとつずつ抜いていった。抜くときが一番痛いことを私は知っていたので、ごめんね、今取ってあげるところだから、と話しかけながら作業を進めた。安全ピンの穴のあいた耳から少し血を流しながら、猫の兄弟(二匹は兄弟だったのだ)は生還した。猫たちは急に「これでわかっただろ」「もう行こうぜ」とやんちゃに言葉を話し始め、即座に立ち去ろうとした。彼らが何をわかったのかは知らないが、私はまだ痛々しい二匹の身体を抱きしめ、引きとめた。それでも彼らはどこかへ行ってしまった。
これは昔見た夢の話だが、黒猫が引き出しの中から侵略をしてきたことがある。夢の中で、私の妹と弟はまだ小さくて、実家で飼っていた犬のことも私は守らないといけなくて、その黒猫の侵略をなんとしても阻止しなければならなかった。実は黒猫というのは仮の姿で、何かとてつもない悪いものが小さな黒猫の姿であらわれているだけ、という凄まじい禍々しさを今でもはっきり覚えている。私は、自分の大切な子たちを守るため、黒猫を木の台に叩きつけて殺した。何度も何度も、蘇らないように叩きつけた。今もその感触は忘れない。私は自分の大切な子のためならこうして何かをためらいなく殺す人間なのだ、ということを、黒猫の夢を見るといつも思い出す。
2014年4月7日月曜日
魔女だって泣きます
時間どおり電車に乗れず、苛立ちと自己嫌悪でホームで泣いている。時間がなくて薬局に必要な薬を取りにいけていないのもよくない。
相変わらず腹が引き攣れるほど咳き込んで、毛布が足りなくて寒かったせいで続けて30分以上眠れず、お花見をすっぽかす夢を見て気まずさに泣き、おのれの体調管理のできなさに泣き、ひとりぼっちの寂しさに泣いた夜だった。世の中の人々は楽しそうで、でもその楽しさって何なのかしら、それがあると本当にいいのかしら、とベッドの中で魔女は世界中を呪っていた。
2014年4月6日日曜日
石に漱ぎ
2014年4月4日金曜日
エルザは憂鬱
いろいろ考えたことがあったけれど、全部消してしまった。私がやりたいのはそんな分析みたいなことじゃない。今考えていたことは独り言で、つまらない私の未練に似た何かだ。私こそ、どこかに置いてきた気持ちを整理しなければならない。
真摯な言葉が嘘っぽく見えて鼻白むことがある。私の言葉がそうなっていなければいいと思いながら、メールを送信する。いつだって、言い過ぎということはない。必ずかはわからないけど、なるべく味方でいるわよ、というサインを送ることが一番ちからになることもあるはずだ。
自律の反対は他律であり、服従である。玄関の鍵の開く音をベッドの中で聞いて、力の抜ける思いがした。
2014年4月3日木曜日
皿の裏
2014年4月1日火曜日
眠いだけでは眠れない
家の中では心が死ぬ。ますます記憶が続かない。午前二時に目が覚めて、寝ていられないので洗濯して、ソファで毛布にくるまってみても眠れず、かといって本を読む頭の明晰さもなく、何で生きているのか、どうやって手足を動かしたらいいのかがわからない。試しにベッドに戻って寝てみても、比較的すぐに覚めてまた起きる。今度はおなかがすいたので、小さな小さなオムライスを作ってたべる。午前5時に送ったメールの返信で、これは深夜ですか?早朝ですか?と尋ねられて、答えに窮する。
髪を10cm以上切った。こうして、育ててきた切断可能な自分を捨て去るのである。昨日切ったばかりなので、ショートボブの自分を鏡で見るとまだ少しびっくりする。
2014年3月30日日曜日
インサイド・アウト
私の辛辣さは、攻撃のためではなく、その人の力になるためにある。それに際しては自分の立ち位置を守ったり逃げたりすることが恐ろしく下手になることもあるが、これはもう、むき出しのままで生きるしかないのだ。愛されている人は傲慢である。でも、愛する人の心には気付かないでいてもいい。長年染みついた防衛本能に知らぬ間にあざむかれたり、隠されたり、何かしらの陵辱で返されることがあっても、それも許したい。許したい、というだけで、許せるかはわからない。
2014年3月28日金曜日
バックサイド・フロント
2014年3月25日火曜日
アップサイド・ダウン
どうしようもないので、何が一番悲しいのか考えることにして、三日前のとある事件がやっぱり引っかかっているのだと思い至った。あそこから、私の妙な木の芽時が始まって収集がつかなくなっている、気がする。調子のいいはずの時期に、まるでホルモンバランスを崩したような不安定ぶりである。それを認めて、目の周りが落ちくぼむほどにさめざめ泣いて、最後のほうは泣くためだけに泣いて咽んだ。ここを生き抜くしかない、と思ってベッドから出て食事を作った。でもそれとこれとは話が別、と何度もつぶやいて、いろんな後悔が去来するのを感じていたけれど、もう涙は出なかった。
母は、悲しいときはこっそり人の靴を叩きつけたり玄関に投げつけるといいわよ、と物騒なことを言った。そんなことやってたの、と聞いたら可愛らしくうなずいた。そして、挫折や苦労を経た男の優しさは目に見えないから面倒だけれど、まっすぐ育った男というのも考えものよ、と言った。
私の持っている地球儀ではまだソビエト連邦が幅を利かせていて、もう何年前のものかもわからないのに色があせる様子もない。写真はマーガレット、パンジー、沈丁花、椿のつぼみ、木瓜、牡丹のつぼみ、ソビエト。
2014年3月24日月曜日
未熟者には毒
私には出すぎた言葉だった。言いすぎた。それでも口にした言葉は戻らない。表してしまったものは永遠にそれを表し続ける。座っているだけで、身体が傾いでいるような後悔である。 「書くことは誰かをつぶすことと心得よ。活字を書くということはそれ以外のものを切り捨てるという意味だ」というのはOY氏の教えである。これまで、OY氏に会うよりもずっと前からその意味は知っているつもりでいた。何度か身につまされもした。でも、言葉は産むものだから、産んだそばからその痛みを忘れてしまう。忘れるからまた産める。誰かの思いを傷つけたいわけではなかったのに、とこういうときは強く思うけれど、私にだって傷つけられたくない思いがあるのだ、ということにはさっき気付いた。でもその表し方がまだ私にはうまくできない。どうしてもできない。いつだって、傷つけることが目的ではないがただでは返したくないし、手を尽くして逃げようとすれば、それはすなわち敗北だ。
午後2時の戦慄
2014年3月22日土曜日
紙吹雪小奏鳴曲
元気だった?と聞かれて、どう見えますか?と聞き返したところ、笑顔がますます内向的だね、どこかに閉じ込められているの?と彼は言った。
雪がやんで、音が大きくなるのがあの芝居の素晴らしいところだ、と何日も経って考える。ロシア文学に精通していなくてもドストエフスキーを読むことはできるし、それは肺のしくみを詳細に理解していなくても酸素を取り込める、ということに似てはいると思うが、取り込んだ酸素について書くときには、やはり肺の組織について書かなければならないだろうか。本当に?
2014年3月18日火曜日
ゆめを見る
今日はインスタントラーメンをたべ、ヨガをして、午前中なのに昼寝をしてから三日漬けおいた鶏ハムを茹で、グラタンを温めなおし、お風呂に二回入り、寝ようとしてねむれず、メールをいくつか書き、バターと粉と砂糖でクッキーを焼いて、もう一度お風呂に入った。 これからマニキュアを塗り直して、クッキーを袋につめてからねむる。窓は全部閉まっているのに、どこかから冷たいすきま風が入ってきているようだ。
散らしてカノン
少し嘘を含めてしまった。本当に求めているのは、お花でもあるけど、私の作ったごはんをおいしいと言ってくれるか、そうでなければ、あなたが何か私のために作ってくれて、それを一緒にたべることである。客観的に見ると、どれも恐ろしいことばかりだ。恐ろしいので秘密にしておこう。
「花は枯れはじめる前に捨てなさい」というのは母の教えである。「男は痛みに弱くて病気に鈍感」とも言っていた。「だから優しくしなさい」と続くのがいかにも私の母らしい。
2014年3月16日日曜日
ガーベラに愛されて
ちゃんとひとりにしてほしい。ひとりじゃないときに、すぐ手を抜いてしまうのをしたくない。でも、結局仕事でも何でも、人と一緒にいる限りはよくもわるくも遠慮してしまって、本当に追いつめられた力が発揮されることはない。それはまわりにとってはどうか知らないが、私にとってはちっともよくない。
2014年3月15日土曜日
こめかみの傷
そういえば、よくけがもするのだった。先ほども、キッチンの洗いかごの中の包丁を取ろうとして人差し指をさくっと切った。ばんそうこうはあれからまだ買っていなかったので(※こちらの日記参照)今度こそもうない、と思ったが、リュックサックの外ポケットにもう一枚入っていた気がしたので見てみたら、あったので助かった。
個人商店とは思えないほど遅くまでやっている近所の魚屋で、鯵の刺身を買った。そのままたべるのも気乗りがしなかったので、寿司を握ってみようと思いながら帰宅したところ、先ほどの人差し指のけがをして握る練習はできなかった。白米を血で汚すわけにはいかないからである。あきらめきれなかったのでとりあえず米に適量の酢を混ぜた。そしてスプーンを駆使して酢飯をこね、鯵の寿司をつくった。寿司というより、丸くした酢飯に鯵を乗せた料理だった。こんなに愚かしい状態で寿司を握る心情を表した演劇がこの世にあるだろうか。でもそういうものに説得力を持たせてくれるのがきっと演出家という人々なのだろう、お願いします、もう私はだめです、と思いながら、夕方から漬けこんでおいたポークジンジャーを半分焼いて、その丸くした酢飯に鯵を乗せた料理をたべた。
2014年3月14日金曜日
サボテンの消失
近所の家が取り壊しをしている。その家の玄関には、びっくりするくらい背の高くて太いサボテンがあって、クリスマスのころなどは手作りのフェルトオーナメントが下げられ、非常に可愛らしかったのだが、彼もとうとう倒されてしまった。初めは、中心くらいの高さでぼっきり折られ、そのまま痛々しい姿を数日さらされたあと、根本から抜かれた。遺体はしばらく崩れかけの玄関の前に横たえられていた。昨日、サボテンを見るために家の前を通ったら、そこはすでにほぼ更地と化していて、サボテンの肉片がわずかに、門だった場所の手前に散らばっているだけだった。この土地に引っ越してきたときの道行きの、最初の目印であったサボテンがしんでしまって、今はとても悲しい。
2014年3月13日木曜日
縫子修行
昨日は、行こうと思ったお店が定休日だったことと、買おうと思ったファンデーションが売り切れていたので、出かけた意味があまりなかった。かわりに、存在だけは知っていた近所のヴィンテージショップを覗き、黒のベロアワンピースを見た瞬間に気に入って、試着もせずに購入した。着られなくても手元にあるだけでいい、と思うくらい美しいワンピースだったし、隣にあったブラウスよりもだいぶ安かったからだ。家に帰って着てみると、肩幅が少し合わないように思われたので肩部分を縫い直した。また着てみると、今度は袖の長さのバランスが悪かったので丈を詰めた。古着を買ったのは人生で二度目だったが、サイズを自分で直したのは初めてだ。ワンピースは黒く光っていて、これを着た私はもう、ただの魔女である。
2014年3月12日水曜日
箱庭療法
早朝に覚醒してしまい、力を持て余すので、ついにお弁当づくりに手を出した。自分でつくり、お昼が来るのを待ち、たべる。お弁当のおかずを「つくる」というよりは箱に「つめる」という作業にやりがいを感じている。続けてみてわかったことは、プチトマトは日本のお弁当文化にあわせて品種改良されてきたに違いないということだった。あざやかな赤をあれくらいの小ささで代替する他の方法は、今の私では半分に切ったピンクのかまぼこしか思いつかない。これからは、ゆかりごはん、焼き鮭、白ごま、パプリカなどの使用にもぜひ精通してきれいな色のお弁当をつくりたい。
だらしない身体の男は嫌い、と告げた。男に限った話ではなく、身体のだらしなさは二の腕のかたちに表れる。ここの空気の流れが重要で、いい男もいい女もともに肩口をすっと抜ける風を感じさせるものだ(しかし、抜けるわりには湿り気を帯びているのが不思議である)。身体と心は連動していることが多い。生活は心に引きずられがちなので難しい。なので、鋭さを潜ませた身体と高潔な心で、だらしない生活をしているのが一番好ましい。
2014年3月10日月曜日
キッチンの女王
続けてトマトを湯剥きし、つぶして種を掻き出した。本当なら包丁で切ってスプーンを使うのがうつくしいが、特に構わなかった。手はトマトでぐちゃぐちゃになり、例によって味見がめんどうなので味付けに難儀したが、トマトソースの出来はなかなかだった。いつだって、うまいものは自分の手を汚して手に入れるのだ。
2014年3月9日日曜日
まないたの上
2014年3月8日土曜日
パーティは終わりだ
「え、いつ」「三年くらい前かねえ」「じゃ、あの人は?」「今は施設に入ってるってよ」「やだねえ、どんどん友達が減っていくのが悲しいよ」「あの人は息子が早くに死んじゃってずっと独りだったからねえ」「何で息子死んだの?」「がんか何かじゃないかねえ」
そこまで聞いて、私は先に待合室を出て靴を履いてしまったので、あとはどうなったか分からない。
あのとき誰かに埋めてほしかったものを、今、別の誰かがどれだけ捧げてくれようとも、だめなものはだめで空白は永遠に埋まらないのだと思う。穴のあいたバケツに水をそそぐような行為だと、わかっていても。
今言うべきではなかったことの断片を口走ってしまったのだが、助産師はその出産を促した。言葉の未熟児を産んでしまったので、腹にいるべつの子はちゃんと大きくなってから産むか、このまま子宮の中で細胞に戻って血になってほしい。
2014年3月6日木曜日
暮らしのドミノ
ひざに抱く
2014年3月5日水曜日
裏街道五十三次
2014年3月3日月曜日
午前5時の停滞
そんな一日の始まりで、朝から夕方まで雨は強くなる一方で、原宿で演劇も観たことだし、恋をしながら長く生きることについてたくさん考えた。この人はきっと女からこういうことを言われてきたに違いない、と思うようなことは、自分はその人のことが好きだと言っているに等しいので悔しい。ずいぶん愛してしまっていることを確認するより、それを忘れるためのセックスがこの世にあるといい。そのときはぜひ、私の想像力より私の身体を愛してほしい。
めがねのふちが黒くてくっきりした男には注意しなければならない。黒いふちは彼が世界から隔てられていることを装う証だが、その枷に負けて、中途半端なフェティシズムに拘泥する人はつまらないし、それを言葉にもできない人はもっといやだ。だいたい、黒いめがねのふちを受け止められるかどうかは、彼の輪郭がすでに物語っているものだし、黒縁に対して分不相応な人のことは、私は居酒屋に置き去りにして21時半くらいに帰る。
2014年3月2日日曜日
国道沿いは雨
ある映像作品を見ながら、気付かないうちに眠っていた。目が覚めたとき、作品はたぶん終わりに近づいていて、予想どおり、それほど時間が経たないうちに終わった。大半を見逃してしまったのだが、心地よく眠れたことがうれしくて、この時間に感謝しながら席を立った。息をしながらまるでコンクリートの壁に溶けてしまったみたいに意識をなくしていて、こんなに気持ちよく目が覚めたことも最近はなかった。早い時間にベッドに入っているのに口内炎がずっと治らないのは、本当には眠っていないからなのかもしれない。
何だって、泣けるうちはどうにか出来るのだ。そのうちわっと泣いてしまうんじゃない、と言われたことを思い出しながら電車に乗っていたけれど、今は泣けない。
2014年2月28日金曜日
真夜中の空白
何日かおきに、料理を失敗してしまう。見た目も気に入らない。今日は塩を入れるのを忘れた。決してたべられないような代物を作っているわけではなく、どちらかと言えば料理は得意なはずなのだが、何となく弛緩しているのだろうと思う。何かが足りない、空洞のような味がする。まあ、今日の場合は塩が足りないので当たり前なのだが、そういうものに限ってたくさん作ってしまって、どうにもならない。おいしい、と言ってくれる人がどれだけありがたくて愛おしいものかよくわかるが、たべてくれる人がいたとしても皆がそう言ってくれるわけではないのだし、ほとんど言ってもらえることなど無いと思って暮らしたほうが身のためである。何だってそうだ。
今日は会いたかった人の誰にも会えず、電話もできずに終わった。来週は会えるといい。
コーマエンジェル
という二つの文章を書いたところで、昨夜は睡眠導入剤を飲んだ。そのあとブログとSNSの更新はやめたのだが、浴槽で温まりなおしたのがよくなくて、ちょっとした酩酊状態になってしまったらしく、朝起きて携帯電話を見て少し青ざめた。朝といっても、薬が切れる明け方、まだ暗いころに目が覚めてしまうので、虚しさと後悔はいっそう募る。心の中で謝り倒して、もうしばらく合わせる顔がない、と思ったが、相手にしてみたらそれほどのことではないかもしれないし、ただ深酒をしない私は、酩酊状態に免疫がないので、いつも新鮮に落ち込んだり悲しくなったりしてしまう。
夢では、お花と靴下と紙袋となぜか脱いだ靴を手にもって、坂を上ろうとしていた。荷物を運ぶのは、これから先の人生で背負い続けるものの暗示なので、これから愛と生活とその他いっぱいの雑多な物を一生抱えて、靴を履くことも自ら拒否して、はだしで歩いていかなくてはならない、ということなのだろうか。
そういえばある知人は、身体に合わない睡眠薬を飲んでいたころ、手当たり次第に人に電話をしてしまって翌朝焦る、ということがあったと言っていた。ちなみに今「ちじん」と変換しようとしたら「痴人」のほうが先に出てしまって、ちょうど昨日、春琴抄のことを考えていたこともあるし『痴人の愛』をちゃんと読み直したいなと思った。ああいう、年下の女に溺れる男の心情は、この上なく苛立つものだがこの上なく無視できなくて、それが今に至るまで、そしてこれから先もずっと私を蝕むのだとしたらいったいどうやって生きていったらいいのだろうとさえ思う。 そんなことは憂鬱のごく一部なのだが、相変わらず賞味期限だけを気にして家の中の穀物製品をたべていくのは寂しい。
2014年2月27日木曜日
2014年2月26日水曜日
今夜も眠れない
あまり食事をとる気になれず、もちろんケーキや和菓子も食べる気がしないので、焼き菓子を少しずつ食べている。いっぺんにガレットを一つ食べると後で気分が悪くなるので、半分食べて取っておいて、また食べる。そうしていると半日くらいもつ。紅茶はその間に四カップくらい飲む。結局だましだまし食事も取る。自分が積極的に興味を持つ食べ物屋がパン屋しかないということは、30年生きてみて薄々気づいている。
「君が甘えているの?それとも相手に甘えさせているの?」と聞かれ、わからない、と素直に言った。「では質問を変える。相手がベッドから起きたら、自分も起きなければと思う?」と聞かれて、そうだ、と答えたところ「それは君が甘えさせているということだ」という種明かしのような回答をもらった。目の覚める思いがしたが、私は人の言うことを聞けないので目は覚めなかった。甘やかすのも甘えるのも、高等な技術が必要なことを私は知っている。本当はわざわざ起きたりしないで、ただそばで眠る生活がしたい。そして私が隣にいるときは、どうか安心して眠ってほしい。
2014年2月24日月曜日
涙の海
ただし、好きな小説家が書いた物語の一節に「私、オトヒコさんが好きなんです。好きです、と言ったとたんにわっと泣き出してしまうくらい、本当に好きなんです。」というのが(うろ覚えだけども)あって、それはよくわかるなあ、と今も思う。
子どもの夢を見た。子どもというよりは赤子というような大きさだったが、私の子どもではなかった。従姉の子として現れたような気がするが、それは今いる三人の甥っ子のうち、どの子でもなかった。私の母がその子どもを抱いていて、私はそれを見ていた。子どもの目からふわっと涙が湧いた。湧いたのであって、溢れる、という感じではなかった。まるい涙の粒が、子どもの目頭に溜まったのだ。私は、あ、と思ってティシューを取り、彼の目をぬぐった。涙がしみてティシューが濡れた。そして、私に涙をぬぐってもらった子どもは「ありがとう」と確かに言った。それを聞いた私は、なぜか分からないけど嬉しくて、その子がいとしくなって、嗚咽した。夢の中では、いつも泣いたり叫んだりすることがうまくできない。このときもそうで、声を詰まらせ息も絶え絶えに泣きながら、私は子どもの指に自分の指を絡めてにぎり、抱き寄せようとした。そのとき初めて、彼は私の子どもかもしれない?、と感じた。目が覚めたとき、外はまだ暗く、そこから寝つけなくなってしまってとにかく参った。
2014年2月23日日曜日
キス・アンド・クライ
最近は、服をほしいとほとんど思わないかわり、新しいアクセサリーがほしい。ネックレスやピアスよりは指輪かな、と思うが、いざ自分の両手を眺めるとそういう気分でもない気がする。ただ綺麗な石を自分のものにしたいという気持ちだけがある。
「君は僕のこと知っているつもりかもしれないけど、僕だって君のことを君が思うより分かっているよ」と言われることが、生きているうちの夢のひとつだ。そうしたら素直に、「ありがとう、うれしい」と言って笑っていたいと、思っているのだけど。
2014年2月22日土曜日
朝より夜が
ずるい女というのは賢かったりしたたかな面を持ち合わせているものだが、ずるい男というのは得てして弱い男という意味である。それを可愛く思ったこともあるけれど、今はその弱さにかまけているほど暇ではない。
根に持つタイプなので、すぐに忘れる男を許せない。彼らはその忘却力でもってこの世を泳いでいるのだろうし、理解はしてあげたい。私が彼らの分まで記憶して長生きすると決めたのだからそれくらいはと思うのだが、どうにも苛立つほどに、愛の深さを自覚してしまって茫洋とした気持ちになる。